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Hawai'i 78





https://www.youtube.com/watch?v=HVuvKIFa6kc


 ハワイの主権が、しかるべく存続することになった(ことをここに宣言する)。

 Ua mau ke ea o ka 'a*ina i ka pono o Hawai'i

 ささやくようでいてなぜか力強く、まるで宇宙に響きわたるような歌声が印象的な『Hawai'i 78』。直訳すると、「大地にやどる命(ke ea o ka 'a*ina)が、ハワイにとっての正しさ(ka pono)によって存続している」となりそうなこのことば。実は1843年、7月31日の、Kamehameha 三世によるある宣言に含まれたとされるもので、「ke ea」(呼吸、命)については「主権」と訳すべきであるような、ある政治的状況が語られているものだったりします。当時、欧米諸国からその存続をおびやかされていたハワイ王朝ですが、英国から理不尽な圧力を受けて、一時期、いまにも植民地化されかねない危機に陥ったことがありました。外交的な働きかけによってかろうじて難を逃れますが、このとき、一度失いかけた国家としての主権が保持されたことを宣言したのが、「ua mau」で始まるKamehameha三世のことばでした。
 この「ke ea」(呼吸、生命)を「主権」の意味で用いる感覚は、命をはぐくむ大地の力を呼吸ととらえ、それがあるバランスのもとで(i ka pono)保持されることを主権ととらえるような、ネイティブハワイアン独特の世界観のあらわれではないかと思われます*。この伝統を引き受けようとするのがこの歌のメッセージであることを踏まえて、以下に続く歌詞をたどってみたいと思います。

 もし、われらが王と女王が、一日でもこの島々を訪れすべてをまのあたりにしたら、
 われわれの大地の変化をどんなふうに感じるだろう?
 彼らがあちこち回って、聖なる大地にハイウェイの光景をみたとしたら……なんてことを、どうか想像してみてほしい。
 彼らはこの現代の都市生活を、どんなふうに感じるだろうか?と……。

 If just for a day our king and queen
 Would visit all these islands and saw everything
 How would they feel about the changes of our land
 Could you just imagine if they were around
 And saw highways on their sacred grounds
 How would they feel about this modern city life?

 いまはなき古(いにしえ)の王族たちが、すっかり車社会になっている現在のHawai'iをまのあたりにしたら、いったいどんなふうに感じるだろう……どうもこの歌には、効率や人間にとっての快適さに絶対的な価値を置く、近代的な世界観とは別のまなざしがあるようです。それはそうと、そもそも聖なる大地(sacred grounds)とはなんだったのか……。車で聖地めぐりをしたのではわからない、とてつもなく深いところでハワイを感じることが求められているような気がします。

 (二人は)それぞれに嘆くことでしょう。
 立ち止まり、すべてを悟りながら……。
 ひとびとが、いまや大変な危機にさらされていることを。
 いったい彼らはどう感じるだろう?
 微笑むどころか、涙するに違いないのです。

 Tears would come from each other's eyes
 As they would stop to realize
 That our people are in great, great danger now
 How would they feel?
 Would their smiles be content, then cry

 神々に、ひとびとに、そして奪われた大地に向けて叫べ。
 そうして、ようやく見いだされるもの、それがHawai'i……。

 (Chorus)
 Cry for the gods, cry for the people
 Cry for the land that was taken away
 And then yet you'll find, Hawai'i.

 彼らが戻ってきて、信号機や鉄道を目にしたとしたら……なんてことを想像してみてほしい。
 彼らはこの現代的な都市の生活を、どんなふうに感じるだろうか?と……。
 (二人は)それぞれに嘆くことでしょう。
 立ち止まり、すべてを悟りながら……。
 そう、ひとびとが、いまや大変な危機にさらされていることを。

 Could you just imagine they came back
 And saw traffic lights and railroad tracks
 How would they feel about this modern city life
 Tears would come from each other's eyes
 As they would stop to realize
 That our land is in great, great danger now.

 ひとびとが、島の命が、いまや大きな危機にさらされている……そんなフレーズからまず思い起こされるのは、欧米諸国との関係がはじまって以降、外から持ち込まれた疫病や生活習慣の変化によって、多くのネイティブハワイアンが命を落としたという歴史的事実でしょうか。それにくわえて、ハワイ固有の動植物の種がたくさん姿を消してしまったことも、見過ごせないのではないかと思ったりします。そう、ここ200年あまりの島々の環境の変化は、命をことごとく危険にさらすほど大きなものだったんですね。一方、王を頂点に、土地ごとのali’i(chief)たちの指導のもと、かつてネイティブのひとびとが営んでいたとされる生活は、発展とか成長といった観念とは無縁の、なによりも島の環境そのものを持続させることを前提とする、絶妙なバランスのもとにあったのではないかと想像されます。そして、唯一ハワイ語で繰り返されるフレーズに含まれる「i ka pono o Hawai'i」の「ka pono」は、そんな土地とひととの関係はもとより、天候や灌漑も含めた水の循環から、先祖や子孫といった不在のひとびとも含めた共同体のシステムにいたるまで、あらゆるものごとが調和のとれた仕方でお互いを保っている、そんな「正しさ」を意味するのではないか……そんなことを考えながら、「cry for~」の繰り返しに登場する「gods」(神々)が単数の「God」ではないことを思うと、この全体としてのバランスが目指されるときの物差しは、おそらく唯一絶対の原理ではないはずだとも思ったり……。

 王が成し遂げたすべての戦い、
 この島々を統一するためになされた(偉業のはてに)、
 いまやこの共同体(の変わり果てた姿)があるのであってみれば、
 彼はこのHawai'iの姿をみてどう感じるだろうか?
 いったい、どんなふうに?
 微笑むどころか、涙するに違いないのです。

 All the fighting that the King has done
 To conquer all these islands, now these condominiums
 How would he feel if he saw Hawai'i nei?
 How would he feel? Would his smile be content, then cry?

 ハワイの主権が、しかるべく存続することになった(ことをここに宣言する)。

 Ua mau ke ea o ka 'a*ina i ka pono o Hawai'i

 王族全般を意味するように感じられる「our king and queen」という表現とは異なり、最後のバースでは、「the King」と歌われ、「この島々を征服するために」(to conquer all these islands)といった表現もあることから、おそらく、ここでの王は、Hawai'i を王国としてまとめあげたKamehameha一世を指すのではないかと思われます。100年にも満たないHawai'i王朝の歴史は、欧米列強からの圧力を受け続けた歴史でもあったわけですが、Hawai'iが資本主義経済の波に飲み込まれる過程で、経済力を背景に政治的にも台頭するにいたったのが、米国のビジネスマンたちでした。そうして、王朝の転覆後、ハワイは合衆国に併合されるに至るのですが、最後はクーデターでとどめを刺されたものの、すでにHawai'iの島々がネイティブハワイアンのものではなくなりつつあったことが、その流れを決定づけたのではないかと考えられます。そう、ネイティブの人口そのものが激減したうえに、新しい土地所有制度になじめなかった多くのネイティブたちは、先祖代々暮らしてきた土地を失ってしまった……その一方で、大規模なプランテーションが大地を覆い、サトウキビやパイナップルを運ぶ鉄道がしかれたりもしたわけですね。そんなことを思いながら、「奪われた大地に向けて叫べ」(cry for the land that was taken away)の部分を読むと、大地というふるさとを追われたひとびとの、つらく、やりきれないこころの叫びが聞こえてくるような気がしてきます。
 いまでは、かつての大規模農場や牧場が、荒地となってその名残をとどめているケースも少なからずあり、まさに「ke ea o ka 'a*ina」(大地の命)をよみがえらせることが大きな課題のひとつでもあるHawai'i。それでも、Hawai'iにとって正しいこと(ka pono)を見失わない限り、必ず未来はやってくる……そんな、祈りにも近いものを感じるとともに、Hawai'i古来の英知の力強さを感じた一曲でした。

by Micky Ioane


*:『A Nation Rising』(Goodyear et al.ed., 2014)に、政治学者Lei Lani Bashamによる「ea」に関する議論が紹介されています。彼女によると、ハワイ語の「ea」には複数の意味合いがあり、そのひとつが強調される文脈であっても、同時にすべての意味内容を含んでいるとされます。たとえば、「ea」が政治的な独立という意味で「主権」と訳されるときも、そこには同時に「life & breth」も含まれているといいます。このとき「ea」は、存在者の能動的な状態と理解されており、呼吸することと同様、「ea」は達成されたり所有されたりするものではなく、日々その行為を続けることが求められるという事実、つまり生(命)を与えられていることそのものであり、同時にその命の営みが何世代にもわたって続けられてきた歴史でもあるとされます。

参考文献
1)Chun MN: No Na Mamo-Traditional and Contemporary Hawaiian Beliefs and Practices. Honolulu, University of Hawai'i Press, 2011, p1
2)Kame'eleihiwa L: Native Land and Foreign Desires-Pehea La* E Pono Ai? Honolulu, Bishop Museum Press, 1992, pp184-185
3)Goodyear-Ka'o*pua N et al.ed.: A Nation Rising-Hawaiian Movement for Life,Land,and Sovereignty. Durham and London, Duke University Press, 2014, pp3-7

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Ka Uluwehi O Ke Kai






https://www.youtube.com/watch?v=wBy0pEknTAU


 すてきな眺めよね。
 大きな海が広がるこの開放感!
 (しかも、そこには)たくさん愛が育っているのよ。
 ほうら、li*poaの香りがするでしょう。

 He ho'oheno ke 'ike aku
 Ke kai moana nui la*
 Nui ke aloha e hi'ipoi nei
 Me ke 'ala o ka li*poa

 どこまでも続く海のひろがりと、雲ひとつない青空、照りつける日差し、輝く砂浜……そんな、大海原をみわたせる場所の開放感が、ごきげんなメロディにのって、さわやかな空気とともに伝わってくるような気がする『Ka Uluwehi O Ke Kai』。「Uluwehi」といえば、森林の緑が美しい光景に用いられたりすることばですが、ここでは「o ke kai」(海の)ですから、しげっているのは海藻たちのようです。なので、ほうらli*poaのいい香りもただよっているでしょう(me ke 'ala o ka li*poa)……。そして、そんな海の幸が育つ場所のことが、「大いなる愛が育まれている」(Nui ke aloha e hi'ipoi nei)と描写されてもいます。「Hi'ipoi」に子どもを大切に育てるようなニュアンスがあるせいか、風景をいとおしくながめているひとの、温かいまなざしも感じられるように思ったりします。

 Li*poaが砂浜に打ち上げられてるわ。
 そう、きらきら輝く浜辺にね。
 そこを歩きでもしたら、日差しが熱くてもう大変よ。
 こういうことはするもんじゃないわね。

 He lipoa i pae i ke one
 Ke one hinuhinu la*
 Wela i ka la* ke hehi a'e
 Mai mana'o he pono ke*ia

 なるほど、いい香りがしてくるのは、li*poaたちが砂浜にうちあげられているからのようです。それでつい、そこに駆け寄ってしまいそうになる……でも、太陽できらきら輝いている砂浜ですから(ke one hinuhinu la*)、足を踏み入れようものなら(ke hehi a'e)、もう熱くてたまらないんですね。それで、「こういうことは正しいと思ってはダメなのよ」(mai mana'o he pono ke*ia)と、分別のない行動をいさめているようです。ですが、からっと明るいメロディのせいか「もう、あなたたち仕方ないわね」と、ちょっとはしゃぎ過ぎな振る舞いを、温かいまなざしで見守っているような雰囲気もあります。

 あれはlimu kohuじゃないかしら。
 岩場のうえにくっついてるわ。
 さぁ、あの岩よ、ウキウキするわ。
 あっちでもこっちでもゆらゆら揺れてる……。

 Ho'okohukohu e ka limu kohu
 Ke kau i luna o na* moku la*
 'O ia moku 'ulala e ho*
 'Oni ana i 'o* i 'ane'i

 ねぇ、みてみて、limu kohuよ……どうしてそんなに海藻に興奮しているの?って感じですが、おいしい食事が待っている(?!)と思うだけで、気持ちもつい前のめりになる……といったところでしょうか。それにしても、「あの岩よ!」('o ia moku)から「'ulala e ho*」に続くあたりは、なんだかただの海藻採りではないのかもしれないと思わせるところがあります。そう、対象はなんであれ、獲物を手に入れるゲーム(?)は真剣勝負なのです。

 さぁ、もう伝わったかしら。
 Li*poaとlimu kohu(のことを歌ったの)
 ところであなたは、pa*he'eと親しいのかしら。
 Li*paluとも一緒になってる(みたいだけど……)。

 Ha'ina mai ka puana
 Ka li*poa me ka limu kohu
 Hoapili 'oe me ka pa*he'e
 'A*noni me ka li*palu
 
 あれっ?ここまで歌われていたli*poaやlimu kohuではなく、結局、pa*he'eを選んだんでしょうか。でも、li*paluともいっしょにいるような……う~ん、いろいろ選べるって、楽しいですね。そう、海は大きな愛の育まれる場所(nui ke aloha e hi'ipoi nei)。生涯の伴侶だって、ひょっとすると見つかったりするのかもしれません。

by Edith Kanakaole

*:伝統的な漁のスタイルとしては、浜辺で貝類(’opihi)を採ったり海藻(limu)などの食材を集めるのは成人女性(makuahine & kaikamahine)だったことを考え合わせると、海藻採りに夢中になって歓声を上げているのは女性たちの集団であると考えられる。

*作者Edith Kanakaole (1913ー1979)について*
 ハワイ島Puna生まれ。コンポーザー、チャンター、ダンサー、エンターティナーと広く活躍し、彼女が1953年に設立したHalau O Kekuhiは、Merrie Monarch 初日のエキシビションを担当する名門ハラウ。教育者としては、Hawaii Community College (1971ー79) 、University of Hawaii at Hilo (1973ー79)で教鞭を執り、チャント、神話、ハワイアンの歴史、土地所有、家族制度といった古代の社会制度、ポリネシアの歴史、ハワイの口承文化を伝えるなど、広くハワイ文化の継承と発展に貢献した人物。また、彼女の名を冠した「Edith Kanaka‘ole Foundation」(1990年設立)は、Kanaka‘oleファミリーが受け継いできたハワイアンの伝統をベースとする非営利団体。文化教育を通じてハワイアンの知性を花開かせることをミッションとし、ネイティブハワイアンによるネイティブのための教育によって、ハワイ文化を生きるための実践を行う。奨学金制度によるサポートも。

参考文献
1)Tha Ahupua’a-Life in Early Hawai’i(3rd ed.). Honolulu, Kamehameha Schools Press,1994, p3

Meleで学ぶハワイ語講座のご案内です。

会場:たかうち珈琲(新大阪)
http://tabelog.com/osaka/A2701/A270301/27001979/dtlmap/

基本的な文型や重要語句を確認しながら、メレの世界観を味わうコツを探ります。

・課題曲 Pua Lililehua

日時:9月12日(木)、19時15分くらい~21時まで。
参加費:1500円(資料代含む)
※飲み物などのお店へのオーダーは、各自お願いします。


〈お申し込み方法〉

メールにて受け付けます。hiroesogo@gmail.com

ハワイ語のはなし194(2019年3月配信)
大事なことからはじめる


 大事なことはまずは先に……なんて書くと、よくある仕事術か人生訓みたいですが、これはハワイ語について語られるときにもよく耳にすることば。「何をするか」(動作、行為)や「何であるか」(名前、種類)、あるいは「どのようであるか」(状態)といった、いわゆる述語が先にきて、あとに「誰が」「何が」にあたる主語が続く……という、ハワイ語の語順の基本的なルールの話です。たとえば……

1)Ua hele au.  私は行きました。

※ua(過去に何かが起こったことを印すことば)、hele(行く)、au(私)

2)He hale ’aina ke*ia (mea).  この(建物)はレストランです。

 ※he(不定冠詞)、ka hale ’aina(レストラン)、ke*ia(これ、この)、mea(漠然と「ひと」「ものごと」を表すことばで、省略されることが多い)

 ハワイ語にあわせて日本語を並べると、それぞれ1)「行った 私」、2)「レストラン これ」みたいな妙な文になりますが、ともかくまずはこの語順になじむのが、ハワイ語を理解する第一歩みたいなところがあるように思います。
もっとも、なにが大事であるかは話し手の興味のありかによって変わりますし、気分やその場の状況みたいなものにも左右されます。つまり、「何をするか」や「何であるか」以外のことばが強調されて、文頭に置かれることだってあるわけです。今回は、そのあたりのルールを確認しながら、語順によってメッセージのニュアンスが微妙に変化する仕方を探ってみたいと思います。


● 強調の印「’o」

 「述語+主語」の語順がキホンであるハワイ語は、もともと述語が強調される傾向にあることばであるといえます。そして、後から続くことが多い主語が前に置かれる場合に用いられるのが、強調の印「’o」です。
たとえば、1)の「au」(私)を強調すると、次のような文になります。

3)’O au i hele.  行ったのは私です。

 このとき、1)の文頭にあった「ua」が、3)の文中では「i」に変わり、前に移動した「’o au」の後ろに「i hele」と続いていることに注目してください。そして、次のように「i」が複数用いられる場合には、それぞれの意味の違いにも注意しましょう。

4)’O au i hele i ke kai i ka la* wela.

暑い日に海へ行ったのは私です。

 ※ke kai(海)、ka la*(太陽、日)、wela(暑い)、i(ここでは名詞が続いて「場所」「時間」をあらわす)

 文の後半にある「i ke kai」(海へ)と「i ka la* wela」(暑い日に)は、それぞれひと連なりで意味を持つフレーズ*。強調のために語順を変える際にも、このタイプの連なりはそのまま文頭に移動します。

5)I ka la* wela, ’o au i hele i ke kai.

 それは暑い日のこと。私が海に行ったのは。

 語順が変わったのに合わせて訳してみましたが、なんとなくストーリー展開を感じさせるところがありますね。こんなふうに、ことばを自由に配置することで伝えたいことを際立たせたり、ことばのリズムを整えたりといったことが、会話文だけでなく物語や歌でも多用されている印象があります。


●「’o」ではじまる文の前後が入れ替わる場合

 次に、2)の文の「ke*ia」(これ)を強調してみます**。

6)’O ke*ia (mea) ka hale ’aina.

レストランといえばこの(建物)です。

 さらに、6)をもとに「ka hale ’aina」を強調してみると……

7)’O ka hale ’aina ke*ia (mea).  

この(建物)はレストランです。

 6)と7)に意味的な違いはそれほどありませんが、「’o」で導かれていることばが述語で、あとに主語があることを意識して訳し分けています。こんなふうに、前後を入れ替えてもそれほど意味が変わらないのは、「AはBである」ことをあらわす文の特徴だったりするのですが、次のようなペアーについては少し注意が必要かもしれません。

8)’O Lani ‘oe.  あなたはLaniさんです。

9)’O ‘oe 'o Lani.  Laniさんといえばあなたのことです。

 8)9)はいずれも強調の「’o」ではじまっていますが、9)の後半には「'o Lani」ともうひとつ「’o」が続いています。これは、固有名詞が主語になるときに用いられるもので、主格マーカーと呼ばれることもあることば。ただし、9)に二つ「’o」が用いられていることからもわかるように、「’o」がついているからといって主語とは限らないあたりには注意が必要です。


●「n-所有形」を用いた強調

 ハワイ語の所有形というと「ko’u hale」(私の家)なんていうときの「k-所有形」をまず思い浮かべるかたが多いかもしれませんが、ここで取り上げる「n-所有形」は、「k-所有形」の「k-」の部分を「n-」に変えたもの。同じ所有形でも「k-」か「n-」かで意味が変わってくるのですが、まずはざっくりそれぞれの違いをまとめておくと……

・k-所有形 
 「k-」の部分に定冠詞の意味を含み、「~のものである」ことを指し示す。

・n-所有形
 「~によって」「~のおかげで」「~のための」「~について」といった、ある物事に対する誰かの関わり方をあらわす。
 
 「n-所有形」の意味がやたら多くてややこしい印象がありますが、とりあえずここでは、誰かによる具体的な関わりを示す「n-所有形」は、「~の」という所有の意味を強調したいときに用いられることがあると理解してください。
 次に、「k-所有形」と比較する仕方で、「n-所有形」による強調と語順の変化を確認してみます。

10)He ka’a hou ko’u (mea).

私は新しい車を持っています(私の持っているものは新しい車です)。

 ※ke ka’a(車)、hou(新しい)、ko’u(私の)

 この文は、たとえば「He aha kou (mea)?」(あなたはなにを持っていますか?/あなたの持っているものはなんですか?)と問われたときの答えです***。誰が持っているか(ここでは「あなた」)についてはすでに了解されており、「なにを持っているか」に焦点があてられることから、「he ka’a hou」(新しい車)が強調されて文頭に置かれるわけです。
 一方、「no wai~?」(誰のものですか?)に対する答えだとしたら、大事なことは「誰のもの」になり、少し答え方が変わってきます****。

11)No’u ke ka’a hou.  

新しい車を持っているのは私です(新しい車は私のものです)。

 ※no’u(私のもの)

 10)と11)は、私が新しい車を持っているという事実を述べている点では同じですが、10)では所有されているのが「新しい車である」こと、11)では所有者が「私である」ことが、文頭に置くという語順で示されているといえます。また、11)では「no’u」が強調の意味で文頭にありますが、「n-所有形」そのものは文中でも用いられます。

 
●長い文でもルールは同じ

 最後に、主語と述語以外の要素を含む少し長めの文で、語順によって強調する仕方をみてみたいと思います。

12)Ke ho’ouna nei kona makuaka*ne i ke*ia manawa.

 ※ho’ouna(送る)、kona(彼の)、ka makuaka*ne (父)、i(時間をあらわす「~に」)、ke*ia manawa(いま)、ke+動詞+nei(進行形)

 彼の父はいま送っているところです。

 この文の「i ke*ia manawa」(いま)の部分を強調すると、次のようになります。

13)I ke*ia manawa e ho’ouna nei kona makuaka*ne.

 いままさに彼の父は送っているところです。

 文頭にあった「ke」が文中では「e」になっていますが、「i ke*ia manawa」(いま)が強調のために文頭に置かれる以外、あとの語順は12)と同じになっています。
 次に、「kona makuaka*ne」(父)を強調してみます。

14)’O kona makuaka*ne ka mea e ho’ouna nei i ke*ia manawa.

 いま送っているのは彼の父なんです。

 強調される「kona makuaka*ne」(父)が「’o」とともに文頭に置かれるのは、1)で主語の「au」(私)を強調したときと同じ。そして、「ka mea」(ここでは漠然と「ひと」を意味する)が挿入されることで、6)7)のように「’o~」とそれに続く名詞がイコールの関係にある文になっています。もう少し説明すると……

’O kona makuaka*ne ka mea~.  ~するひとは彼の父です。

 つまり、「彼の父は~なひとなんですよ」と父を強調し、父についての説明が「e ho’ouna nei i ke*ia manawa」(いま送っている)と続いているわけです。
 
 ざっくりまとめると、語順が変わってあることばが文頭に置かれたりするのは、意味を変えるというよりも、ここに注目してほしいという話し手の意識のあらわれで、このことを伝えたいという感動や驚きがそこにあると考えることができます。このあたりは英語にも似たところがありますが、決定的に違うのは、語順が変わることで疑問文を作る英語とは異なり、ハワイ語では前後の入れ替えによって疑問の意味は生じないこと。ではなにかを尋ねたいときはどうするかというと、「~ですか?」という気分でイントネーションを変えるだけ。このあたり、音声をともなわないメルマガでは伝えきれないところですが、声のトーン以上に、相手とのアイコンタクトが重要だったりするのではないか……なんてことを想像しています。


*:いずれも「i」のあとに定冠詞「ka」「ke」があって、名詞が続いていることがわかります。こんなふうに、場所や方向、時間をあらわす「i」は、「ua」が変化した「i」とは異なり後に名詞がくることも記憶しておきましょう。ただし、あとに続く場所が固有名詞である場合は、「i Waiki*ki*」(ワイキキに、ワイキキで)といった具合に冠詞は付きません。
**:この場合、2)の語順を変えるだけで「’o ke*ia he hale ’aina」としても間違いではないのですが、「レストランはこれですか?あれですか?」という問いに対する答えの場合は、「レストラン(という種類のもの)」というニュアンスのある「he hale ’aina」よりも、レストランが話題になっていることを前提とする「ka hale ’aina」とするほうが自然であると考えました。
***:「He aha kou (mea)?」は、直訳すると「あなたのものはなんですか?」。「He aha~?」は「なに?」とたずねるときのフレーズ、「kou」は「あなたの」。
****:「No wai~?」(誰のものですか?)は、「no」(~のための)と「wai」(誰?)を組み合わせたフレーズ。


※オキナ(声門閉鎖音)は「'」、カハコー(長音記号)は伸ばす音の後ろに「*」
をつけています。ハワイ語は、とりあえずローマ字読みすることが可能です。

ハワイ語のはなし171(2018年3月配信)
La*のはなしですが、なにか?


 なんとなく楽しげな雰囲気があって、日本語でも英語でも、「シャラララ~」みたいな仕方で歌うときの音だったりする「ラ」(la)。そのあたりはハワイ語にも似たところがあって、ことばの調子を整える「la*」の用法があったりします。もっとも、すべての「la*」に意味がないかというとそうでもなくて、ハワイ語の「la*」を含む単語やフレーズをたどってみると、ある共通の語感のもとで用いられていることがうかがえます。
 今回は、そんな「la*」のニュアンスを、いろんな角度からたどってみたいと思います。


●距離的な隔たりをあらわす「la*」

 まずは、よく用いられる基本的なことばを挙げてみます。

 1)ke*la*  あれ

 ずばり、「ke*la*」の「-la*」の部分が、対象との間にある隔たり(距離)をあらわしています。Ke*la*の「ke-」の部分は定冠詞にあたり、全体として距離を感じるものごと全般をあらわすわけですね。近くにあるものに対して用いる「ke*ia」とセットで覚えたいことばですが、簡単な例文を挙げてみると……

 3)He hale ke*ia.  これは家です。

 4)He hale ke*la*.  あれは家です。

 ※「hale」(家など建物一般)

 「Ke*ia」「ke*la*」であらわされる距離はいずれも相対的なもので、話し手の近くが「ke*ia」、遠くが「ke*la*」となります。「あれ」と訳されるハワイ語には、もう一つ「ke*na*」もありますが、こちらは話し手にとっての遠くが、聞き手にとっては近い場合に用いられることば。一方、「ke*la*」は話し手、聞き手双方にとっての遠くをあらわすのですが、このことからも、「-la*」が隔たりを意識させることばであることがうかがえます。
そんな「-la*」で表現される距離の感覚がわかってくると、次のようなニュアンスの違いも理解しやすくなります。

 5)Ke*la* ka pane.  答えはあれです。

 6)Pe*la* ka pane.  答えはあのような感じです。

 ※「ka pane」(答え、answer)、「pe*la*」(あのような、like that)

 6)の訳でもわかるように「pe-」を含むことばには、「~のような」というニュアンスがあります。5)と6)の違いでいえば、「ke*la*」(あれ)は断定的、「pe*la*」(あのような)には、「~な感じ」と付け加えたくなる印象というか、場合によっては輪郭をあえてはっきりさせない言い方にもなります。「-la*」であらわされている距離についていえば、「ke*la*」のほうが具体的な距離、「pe*la*」は対象との心理的な距離が表現されている、といったところでしょうか。


●単独で用いられる「la*」

 次に、単語に含まれるのではなく、単独で用いられる「la*」をみてみたいと思います。

 7)ua hale nei  いまちょうど話したこの家

 8)ua hale la*  いまちょうど話したあの家
 
 ※8)の「la*」は「ala」に置き換え可。

 「Ua」というと、まずは「雨」(ka ua)を思い浮かべそうですが、ここに挙げた「ua」は、直接、名詞の前に付いて、それが直前に話題にのぼったものであることをあらわします。「そのひとが……」みたいな仕方で、さらに話を続けるときのいいかたですね。あとに続く名詞にも「ua」自身にも定冠詞「ka」「ke」が付かないので、案外、区別しやすいと思います。そして、対象との距離の違いは、「nei」(いま、ここ)と、「la*」(あの)であらわされています。また、注※に記したように、「la*」と「ala」は同じ意味合いで用いられることも記憶しておきましょう。


●動詞に意味を添える「la*」

 動詞とともに用いられる場合にも、「la*」によって空間的な距離が示される場合があります。

 9)Ke kali nei au.   私は(いま)待っています。
     待つ    私

 10)Ke pi'i la*, ke pi'i la*   どんどん登れ、どんどん進め!
     登る

 9)の「ke+動詞+nei」は、その動作がいま現在、行われていることをあらわす表現。7)でみたように、「nei」に「いま、ここ」の意味があるからですね。一方、10)では、「nei」が「la*」にかわることで、空間的に前へ、前へと進む感じが出てきます。「Ke+動詞+nei」も「ke+動詞+la*」も現在進行中ではあるのですが、「nei」では「いま・ここ」が強調されているのに対して、「la*」の方はここではないちょっと先に意識があり、10)のように、ときに「前のめり」な感じがあったりするわけです。そして、8)の「la*」が「ala」に置き換え可能だったように、「ke+動詞+la*」と「ke+動詞+ala」は同じ意味で用いられます。
 「La*」や「ala」を用いることでニュアンスが変わってくる表現には、次のようなものもあります。

 11)E kau ana ke ao.

  雲がかかっている。

 12)E kau la* ke ao i ke kuahiwi.

  雲がそこに、山の上にかかっている。

 ※「ke ao」(雲)、「ke kuahiwi」(山)、「kau」はなにかがある場所に位置することをあらわす動詞。

 「E+動詞+ana」は、「ana」に「持続」(~している)の意味があることから、進行中のことがら一般をあらわす表現*。11)として、雲がかかっている風景描写を挙げましたが、このときの「ana」を「la*」にかえた12)では、雲がかかっている山の上のほうに視界が広がっている、つまり、対象との距離が表現されています。こんなふうに、「ほら、そこに」といいたくなるような感じが、「la*/ana」で表現されるわけですね。持続の意味がある「ana」も、時間的・空間的には遠く(far)をあらわすのですが**、「la*/ala」は「ana」よりもさらに隔たりを感じさせることばのようです。


●語りの「la」、疑いの「la*」

 最後に、ここまでたどってきた「la*」とは、厳密には同じものではないと思われますが、対象との隔たり(距離)という意味では共通するものを感じる「-la」および「la*」の表現をみてみたいと思います。

・物語の「-la」
 この表現は、たとえば「昔々」ではじまるような物語によくみられる表現。例を挙げてみると……

 13)'Ike akula 'o ia…….   彼は見たんだとさ。
   見る     彼は

 14)Moe ihola 'o ia i laila.   彼はそこで眠ったんだとさ。

   眠る     彼は   そこで

 13)では、話し手から離れる方向(away)をあらわす「aku」、14)では下向き(down)をあらわす「iho」に、それぞれ「-la」がついています***。これらの「-la*」は、いずれも積極的な意味を担うことばではないのですが、語り手が物語と一定の距離をとっているニュアンスを添えています。その感じを出すために、「~だとさ」と訳してみましたが、自分のことを話すときに、まずこの言い方はしないことからも、「-la」に含まれる対象との距離感がなんとなくわかると思います。

・疑いの「la*」
 これは、先の物語の「-la」よりもさらに対象との距離があるというか、場合によってはちょっと突き放したような印象を与える表現です。たとえば、こんなふうに……
 
 15)He aha ke*ia?  これは何ですか?

 16)He aha la*.   さぁ、なんだろね。

 15)の「he aha…?」は「なんですか?」とたずねるときの言い方ですが、16)ではそれに答えるのではなく、問いを繰り返す仕方ではぐらかそうとしている……そんな印象のある受け答えですね。「さぁね(知らないよ)」という、積極的に関わろうとしない態度が「la*」にあらわれているわけです。このタイプの「la*」は「疑いのla*」という言い方もされますが、相手との距離という意味では、隔たりをあらわす「la*」と共通するところがあるように思われます。

 さて、今回の『ハワイ語のはなし』はいかがでしたでしょうか?「He aha la*~」(さぁどうだろね~)なんて答えが返ってきたらショックですが……ご感想など、熱烈お待ちしております!


*:「起こりつつあること」をあらわす「e+動詞+ana」は、話のポイントをどこに置くかで「まだ終わっていない」(未完)、「これからも続く」(未来)など、文脈によってニュアンスが違ってくる表現でもあります。また、同じように進行中であることをあらわす「ke+動詞+nei」が「現在」に限られるのに対して、「e+動詞+ana」は、現在、未来だけでなく、文脈によっては過去についても用いられます。
**:「E+動詞+ana」が未来の意味で用いられることが多いのは、「e」に含まれる未来(これから)のニュアンスと、「ana」の時間的・空間的な隔たり感(far)のためだと考えられます。
***:「Aku」「iho」は、それぞれ前の動詞が表す動きの方向をあらわす「方向詞」。「Aku」は「’ike」(みる)による眼差しが遠くへ向かうこと、「iho」は「moe」(眠る)動作が下向きであることをあらわしています。

参考文献
1)Elbert SH, Pukui MK: Hawaiian grammer. Honolulu, University of Hawaii Press, 2001, pp60-61, pp113-115
2)Kamana K, Wilson WH: Na* Kai 'Ewalu, Puke 1 Hou, 2012 Edition, Mokuna 1-14. Hilo, Hale Kuamo'o, 2012, pp121-122