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「Meleで学ぶハワイ語講座」のご案内です。

会場:たかうち珈琲(新大阪)
http://tabelog.com/osaka/A2701/A270301/27001979/dtlmap/


*初級編*

おもな内容

 基本的な文型をたどりながら、ハワイ語のmeleを読むコツを探ります。


・課題曲 『Kaulana Na* Pua』


日時:6月21日(金)、19時開始(21時まで)。
参加費:1500円(資料代含む)
※飲み物などのお店へのオーダーは、各自お願いします。


*中級編*

今月はお休みです。


〈お申し込み方法〉

メールにて受け付けます。hiroesogo@gmail.com

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Pua Lei Aloha





https://www.youtube.com/watch?v=fy8ByLtvOaA


 僕の大切なひとは深い思いを秘めていて、
 花のようで、愛が込められたレイのようなひと。
 (それは)マイレとともに編まれて、
 僕のこころ(の友といってもいい存在なんだ)。

 Ho‘oheno ku‘u ipo
 Ku‘u pua ku‘u lei aloha
 I haku‘ia me ka maile
 O ku‘u pu‘uwai

 美しく響くあまいメロディから、「Ku‘u pua」「ku‘u lei」と歌われるあるひとへの、熱烈な思いが切々と伝わってくる『Pua Lei Aloha』。冒頭の「ku‘u ipo」から恋人を連想してしまうと、そこで想像力がストップしてしまうのですが、もう少しイメージを膨らませるために、まずはmeleの作者およびその主人公のことをたどってみたいと思います。
 タイトルに「pua lei aloha」(文字通りの意味は「愛すべきleiに編まれた花」)が掲げられ、美しくかぐわしい花を「’oe」(あなた)にたとえながら、その花をめでることばが重ねられるこのmele。実は、「Pualeialoha」という名の女性のことが歌われているようです。そのひと、Alice Pualeialoha Davis Fredlund(1920-1992)は、夫のWillliam Bell Fredlundとともに、1944年にBell Records(ワイキキを拠点とするレコードレーベル)を設立。1950年ごろまで、多くのハワイアンミュージックのレコードを世に送り出しました。その過程で、レーベルに関わるミュージシャンが共同出資するようになりますが、『Pua Lei Aloha』の作者、Bill Ali’iloa Lincolnもそのひとり。ということは、Bill LincolnにとってのPualeialohaは、所属する組織のボス的存在だったかもしれませんし、少なくとも、ミュージシャンとしての歩みをともにする、重要なポジションにある人物だったと思われます。
 そう考えると、「ku‘u pua, ku‘u lei aloha」(私の大切な花、いとおしい僕のlei)と「ku’u」が繰り返されるところも、「好き」といったのでは足りない、深い思いが込められているのではないかという気がしてきます。たとえば、このあとに続く「(その花が)マイレとともに編まれ」(i haku‘ia me ka maile)、さらにそのマイレが「私の思いの奥深くにある」(o ku‘u pu‘uwai)とされるのも、からみあうそのleiの形状が、二人の並々ならぬ絆の深さを物語るものだったりするかもしれないな、と……。

 ホントにあなたはみずみずしい美しさで、
 (あふれる)泉の妖精(みたいなんだ)。
 いまをさかりと咲き誇る花が、
 かぐわしい香りをはなつように……。

 Ka u‘i no* ‘oe
 ‘O ka pu‘unawai
 A he pua i mohala
 Me ke ‘ala onaona

 若々しい美しさを思わせる「ka u'i」、あふれる命そのものを感じさせる「ka pu'uwai」(泉)……そんなみずみずしい存在であるとされるそのひとは、いまをさかりと咲く花(he pua i mohala)であるとともに、かぐわしさに包まれている(me ke ‘ala onaona)とも語られます。いろんなイメージのふくらませ方ができそうですが、目には見えないけれども強烈にその存在を感じさせるのが香りであることから、当時のワイキキの音楽シーンにおける彼女の存在感がそこに重ねあわされている、といった見方もできるかもしれません。あるいは、絶えることなくあふれる「泉」(ka pu'uwai)を連想しながら、彼女の知性や周囲への心配り、みたいなものを思い描いてみたりとか……。

 僕のかけがえのないひとは、香るように魅力的。
 そう、その花の美しさ(がそんな気持ちにさせるんだ)。
 きみのとろけるような声といったら、
 僕を誘ってやまない思いを感じさせるよう。

 Onaona ku‘u maka
 I ka nani o ia pua
 ‘O kou leo nahenahe
 Ke aloha e ma*liu mai

 その花の美しさこそが、大切なそのひと(ku’u maka)の魅力を引き出している(onaona)……彼女のことがときに花(ku’u pua)、ときにレイ(ku’u lei)にたとえられていて多少混乱しますが、ここでは、彼女の全体像を象徴するのがサークルを描くレイで、その構成要素が「その花」(o ia pua)とされる個々の花、そこに重ね合わされているのは彼女の才能や魅力の数々ではないか、と考えてみました。そうすると、「‘o kou leo nahenahe」(あなたのステキな声)とは、自らもミュージシャンとして活躍したAlice Pualeialohaの歌声という解釈もあり得ますし、そのメッセージが「こちらを誘ってくる」(e ma*liu mai)される箇所も、Billの演奏にあわせて彼女が歌うといったライブの現場で、音楽による二人の絶妙な掛け合いが展開されているような、そんな場面のことが語られている可能性もありそうです*。

 ねぇ、答えて、僕のお姫さま……。
 花のようなきみ、愛をつむいだレイのようなひと。
 親密な交わりのために編まれたレイ。
 (それは)僕の深い思いとともにある。
 
 E o* mai ku‘u lani
 Ku‘u pua ku‘u lei aloha
 No ka welina i haku ‘ia
 Me ke aloha o ku‘u pu‘uwai

 ここまでPualeialohaに対する思いが語られてきたわけですが、最後にそのメッセージに対する応答を「e o* mai」(答えてください)と求めながら、「ku’u lani」**と持ち上げているあたりに、彼女に対する尊敬のまなざしや、ほどよい距離感のようなものが感じられる気がします。そして、そんな二人の間の「親密なあいさつ」(ka welina)のごとく交わされるメッセージは、やはり、一緒にステージをつくり上げていくときの、音楽による愛の交換ではないかと考えられます。思いが編み込まれたレイは、ことばの連なりである歌の象徴であり、それを全身全霊でもって歌う彼女の存在そのものでもある……そんなハワイ語の修辞がふんだんにちりばめられた『Pua Lei Aloha』。長く歌い継がれてきたのもなるほどと思わせる、宝石のように美しいmeleでした。

by Bill Ali'i loa Lincoln
 
*:Alice Pualeialoha は、1950年代の終わり頃には自らもミュージシャンとしても活躍しており、女性のトリオバンド「The Halekulani Girls」のリーダーとして、ギター&ボーカルを担当。
**:「Ka lani」は、「天、空」といった意味で用いられるとともに、比喩的にはひとの上に立つひと、見上げたくなるようにすばらしいひとをたとえることばでもあります。古代のハワイでは、従者が仕える対象(chief、ハワイ語で「ali'i」)を呼ぶときのことばでもあったことから、親しみを込めて「お姫さま」と訳してみました。

*作者Bill Ali’iloa Lincolnについて*
 ハワイ島、ノースコハラ出身、1911年生まれ、1989年ホノルルで死去。美しいファルセットボイスが評価されたボーカリストで、ウクレレ、ギター、ベースにピアノも演奏し、フラ、ウクレレ、ギターの先生でもあり、スタジオミュージシャンやライブ等で活躍。

参考文献
1)Kanahele GS: Hawaiian Music & Musicians-An Encyclopedic History. Honolulu, Mutual Publishing, 2012, pp507-509




ハワイ語のはなし191(2018年12月配信)
ハワイっていいなと思う前に


 あけましておめでとうございます。気がつけば本メルマガも来月で9年目に突入、おかげさまで昨年、配信数が300を超えました。ずっと読んでくださっているかたには新しい話を、はじめましての方にはとにかくわかりやすい内容を……なんて思いながら気ままに書いてきましたが、これからもどうぞお付き合いのほどお願いいたします。
 それにしても、どうしてハワイ語に興味をもったのか、もっといえばハワイが好きになったのか……と考え始めると、いまとなっては自分でもよくわからないところがあります。みなさんはいかがですか?といろんな方の話を聞いてみたい気分なのですが、年始にあたり、今回は私がハワイ語と付き合ってきた十数年あまりを振り返りながら、『ハワイ語のはなし』をお届けしたいと思います。


●「a-所有形」「o-所有形」と土地の所有

 軽いエクササイズのつもりで始めたフラにはまってしまい、ハワイ語がわかれば、歌の意味を理解できるのでは……と、軽い気持ちでハワイ語辞書を手に取ったのが、言語としてハワイ語に接したはじまりだったように思います。最初はなにもかもが新しいことばかりで、「be動詞」も「have動詞」もないことばを理解できるのか!?と挫折しそうになったのですが、いま思うと、そんなに驚くほどのことでもなかったかなという気もします。例文でみてみると……

1)Nani ke*ia pua.  きれい この花

2)He keiki ka’u   子ども 私の(もの)

 それぞれ、きちんと訳すと「この花はきれいです」「私には子どもがいます」くらいになりますが、1)については「きれい!この花」のほうが、むしろ書きことばではないハワイ語のライブ感が伝わるかもしれません。やっかいだなと思ったのは、2)の「ka’u」(私の)については、「ko’u」というのもあって、両者に明確な使い分けがあること。家族で例を挙げると、子どもや配偶者には「ka’u」(a-所有形)、親や祖父母には「ko’u」(o-所有形)が用いられ、とりあえず、所有するかどうかを選べないものに対しては「o-所有形」と考えて間違いはないのですが、土地は「o-所有形」だというところに引っかかってしまいました。というのも、自らの意思で獲得できないということは、土地は売買したり登記したりといった対象ではないということになるからです。実際のところ、19世紀なかば以降、土地の個人所有が進められる過程でネイティブのひとびとの多くが土地を失ったという事実があります。いろいろ文献にあたってみると、政治状況も含め決してその過程は単純なものではないのですが、ハワイ語を深く掘り下げることで、なにか古来のハワイ的世界観みたいなものを知る手がかりが得られるのではないか……なんて思い始めたことが、ハワイ語の世界に魅力を感じた出発点だったように思います*。


●もっと「k」を……!?

 ハワイ語に「be動詞」や「have動詞」がないことに驚いたのは、アルファベットで表記されているのにな!?という違和感だったのかもしれない……といまになって思います。アルファベットの使用は、18世紀末にヨーロッパからやってきた船乗りたちの記録がそもそもの始まりで、当時はそれぞれの母語で思い思いに記されていたようです。その後、19世紀初頭に米国からやってきた宣教師たちによって、徐々に表記法が確立されていきます
が、彼らがハワイ語に翻訳したバイブルの印刷を目的としていたことが、アルファベットの使用が選択された要因のひとつだったとされます。というのも、アルファベットを使えば、活字を新たに作る必要がないからです。それでも思うようにいかないこともあって、なかなか対応してくれない本国の伝道組織(ABCFM)に、宣教師たちがいらだちをつのらせることもあったようです。そんな彼らの困りごとは、活字の「k」と「a」が通常のフォントセットではぜんぜん足りなかったこと。名詞には定冠詞「ka」(k、e、a、oで始まることばには「ke」)が付くというハワイ語のルールからするとなるほどって感じですが、定冠詞だけでなく、よく使われることばに「k-」が含まれる印象がありますね。たとえば……
 
1) ku'u(私の)、ko*(あなたの)

2)ka’u(私の)、ka*u(あなたの)、ka*na(彼の、彼女の)

3)ko’u(私の)、kou(あなたの)、kona(彼の、彼女の)

 ここに挙げたことばは、「~の」という訳語からもわかるようにすべて所有形で、2)が「a-所有形」、3)が「o-所有形」。そして、注目していただきたいのが、いずれも「k-」のところに定冠詞の意味が含まれていること。たとえば「ka’u」は「k-」と「a’u」にわけることができ、「ka’u」と「a’u」のいずれを用いるかで、次のような言い換えも可能です。

4)ka'u keiki  私の子ども  
※「ka'u」は「ka + a’u」が合体したもの

5)ke keiki a’u  私の子ども

 つまり、「a’u」(私の)の置き場所は名詞の前でも後でもいいのですが、いずれにしても定冠詞は必要なわけです。ほかにも、ke*ia(この)、ke*na*(その)、ke*la*(あの)といったことばにも、定冠詞の「k-」が含まれています。このあたりを意識するひとは少ないかもですが、案外重要な文法事項だと思います**。


●失われた共同体

 フラのレパートリーが増えてきて、ふるさとの風景や愛するひとへの思い以外に、hulaといえば王族のテーマが外せないものであることがわかってくると、なんとなくハワイの歴史的なことが気になり始めました。たとえば、Kala*kaua王やLili’uokalani女王についての楽曲は、彼らが生きた時代背景抜きには理解できないところがあります。また、hulaに関していえば、Kala*kaua王が自らの戴冠式(1883年)や50歳の祝賀パーティ(1886年)
で、数々の演目を華々しく披露させたことが重要で、長く公式の場で行われることがなかったhulaを復興したという意味で、フラを愛好する私自身もその恩恵を受けているともいえます。ただし、Kala*kaua自身は、その復古的な態度によって、欧米勢力から近代化に逆
行する無能な王というレッテルをはられることになり、1887年に制定された新たな憲法、Bayonet Constitution(銃剣憲法)によって、実質的な政治権力を失うことになります。
そうして、政治・経済的に力を増したhaole(欧米勢力)が台頭する一方で、ハワイのネイティブのひとびとが徹底的に主権を失っていく過程をたどると、「陽気な王様」(Merrie Monarch)と呼ばれるきっかけにもなったKala*kaua王最後の打ち上げ花火は、いちかばちかの政治的なかけだったのではないかという気もしてきます。
 いまもなお「Ka La*hui Hawai'i」(ハワイの共同体)とハワイ語で語られるときには、言語をはじめとする文化を共有するひとびとの国という含みがあるように感じるのですが、ハワイ語がいまもhulaとともに生きているという事実は、ハワイ王朝とともにあり得た共同体が、決して過去のものではないことを示しているのではないかと思わずにはいられません***。


●物語られる風景は誰のもの?

 ハワイといえば火山の島で、火の女神Peleを避けては通れない……というか、溶岩が迫ってくる様子が語られたりもするhula kahiko(古典フラ)は、大いなる自然のありのままが、素朴なことばで語られるのがいいなぁって感じで、その独特の精神性にあこがれてもきました。遠くKahikiの地からやってきて、ハワイの島々にすみかを探すPeleの物語なんかも、Ni’ihauからKaua’i、O’ahu、Maui、そして最後にいまも燃えるHawai’i島と、東に向かうほど島が新しいという事実そのもので、神話とは古代の科学のことばでもあったのだろうか……なんてことを考えさせられたりもします。
 その一方で、あらすじだけをたどっていると、ハワイの伝説には「なんでそうなるの?」みたいな話もあったりするわけですが、そのストーリー展開の不思議さとは別に、個人的に疑問に思ってきたことがあります。まだネイティブのひとびとの語りが生きていたのではないかと思われる時期の著者(あるいは編者)に、どういうわけか欧米人が多い印象があるのです。最近、『Legendary Hawai'i and the Politics of Place』(文献4)という著書に出合って知ったのですが、ハワイの合衆国併合後、ハワイを訪れるべき南の楽園として売り出すキャンペーン的な動きがあり、どうも出版の世界で、「Legendary Hawai’i」(伝説にあふれたハワイ)を語る言説が量産されていく時期があったようです。その担い手が、Thomas George Thrum(1849-1932)やWilliam Drake Westervelt(1849-1939)といった翻訳家だったのですが、風景写真を多用してリアル観を演出する一方で、物語の出どころはよくわからない……そんな、ホンモノを知りたいひとにはちょっと残念な著作物が量産されていったのもこの時期でした。彼らにしても、Hawai’iを愛する気持ちに嘘はなかったとは思いますが、ネイティブのまなざしを欠くことで、神話や伝説の魂みたいなものが抜け落ちてしまった可能性もあるのではないか……それはハワイ語の歌詞を訳していても感じることで、どんなにがんばっても翻訳では伝えきれないところはやっぱりあります。まして、観光や投資を呼び込むためのツールとして書かれたものであれば、かなりバイアスがかかっているかもしれないことに、読み手の方が自覚的になる必要があるかもしれません。少なくとも、いくら観光で訪れたにしても、その土地の現実をみることなく伝説や神話を通してのみ風景を眺める態度は、あまりにも失礼ではないかと思うのです。
 そんなことをあらためて思いめぐらせているのは、この年末にはじめて訪れた沖縄本島で、あれこれ考えさせられたからだったりします。美しい海と空、12月なのに温かくなんともここちよい空気感に、ハワイでなくてもいいのかも?!という感覚とともに、沖縄は沖縄だろうという思いがふつふつとわいてきた……そんな感じです。ハワイ王朝のことを事細かに調べたりする私が、琉球王朝のことをほとんど知らないという事実。幹線道路をかすめるように横切って行った戦闘機、延々と続く基地のフェンス。基地問題を大きく取り上げる地元の新聞には、当然ながら全国紙にはない熱さがありました。そんな思いでいたからでしょうか、沖縄料理屋さんで聞いた島唄ポップスに、ハワイ語の歌に通じるなに
かを感じたりもしました。そして、なぜ私がハワイ語)について書き続けるのか?はやっぱりわからなかったりするのですが、戦後生まれの日本人として、まわりまわって沖縄に至る道がハワイだったのかもしれないなと、いま、ぼんやり考え始めています。


注)
*:『Dismembering Lahui』(文献1)では、政治的・経済的社会構造の変化にともない、ハ
ワイのネイティブのひとびとが土地に根差した生活ができなくなる過程をたどりながら、
主権の喪失という観点から合衆国併合にいたるまでのハワイの歴史がたどられています。
**:神に仕える理想とはうらはらに、活字どころか日々の生活にも困窮することがあっ
たという、19世紀はじめの宣教師たちの生活が紹介されているのが『Ka Pa’i Palapala』
(文献2)です。
***:観光振興のための自然破壊の流れを食い止め、持続可能な島々の発展およびネイ
ティブハワイアンの主権回復を訴える『From a Native Daughter』(文献3)では、「Ka La*hui
Hawai'i」というハワイ語が「自治の別の形(主権を失ったものたちの政府のようなもの)」
という意味合いで用いられ、ネイティブのイニシアチブのもとでの自治政府を樹立する構
想が、「国家内国家」(nation-within-a-nation)という仕方で語られたりもします。


参考文献
1)Osorio JK: Dismembering Lahui-A History of the Hawaiian Nation to 1887. Honolulu, University of Hawaii Press, 2002, pp193-249
2)Day AG, Loomis A: Ka Pa’i Palapala-Early Printing In Hawaii. Honolulu, Printing Industries of Hawaii, 1973, p6
3)Trask HK: From a Native Daughter: Colonialism and Sovereignty in Hawaii (Latitude
20 Books). Honolulu, University of Hawaii Press, 1999, pp36-39
4)Bacchilega C: Legendary Hawai'i and the Politics of Place: Tradition, Translation, and Tourism. Pennsylvania, University of Pennsylvania Press, 2013, pp60-101


※オキナ(声門閉鎖音)は「'」、カハコー(長音記号)は伸ばす音の後ろに「*」をつけています。ハワイ語は、とりあえずローマ字読みすることが可能です。


ハワイ語のはなし197(2019年5月配信)
あらためて「はじめの一歩」


 お気づきのかたも多いと思いますが、このほど本メマガのバックナンバーが非公開となり、最新号の配信のみのサービスとなりました(まぐまぐの配信システムの更による)。これまで、どこから読んでもOK!的な内容を目指してきましたが、バックナンバーが参照できないとなると、さすがにはじめましてのかたは戸惑われるはず……。というわけで、今回は、最近ご登録くださったみなさんをサポートしつつ、おなじみさんには知識の整理になりそうな、ハワイ語にアプローチするコツをまとめてみたいと思います。


●「大事なことは先」がハワイ語の基本

 「Aloha ka*kou!」(みなさん、こんにちは)みたいな短いフレーズならいいですが、そこそこ単語が連なるハワイ語文だと、辞書で意味を調べて並べただけでは、まったく意味不明(!)ということが結構あります。ハワイ語と日本語ではことばを並べる基本的なルールが異なるためですが、まずはそのあたりを軽く確認してみたいと思います。
 たとえば、「あなたは美しい」とか「私は行きます」といった文を、ハワイ語的な語順に並べ替えると、それぞれ次のようになります。

 1)美しい  あなた  あなたは美しいです。
Nani no* 'oe.

 2)行く  私    私は行きます。
   Hele au.
 
 こんなふうにハワイ語では、ものごとの「状態」(美しい)や「動作」(行く)をあらわすことば、いわゆる述語(述部)が文頭にくるのが基本のパターン。そして、このことは「大事なことは先に」というハワイ語のルールを示してもいます。たとえば1)では、「nani no*」(きれいですね)というだけで、いま話題になっていることがきれいなんだなと察しがつきます。一方、「'oe」(あなた)と言っただけでは、「あなた(つまり私)がどうかした?」と返したくなりますね。そう、話題が共有されている場面では、多くの場合、主語よりも述語のほうが重要で、そのためハワイ語では、先に述べられる傾向があるというわけです。
 もっとも、「大事なことは先に」ですから、話し手が伝えたいことがらがシフトすると、あわせて語順も変わったりします。このあたりについても次項で確認したいと思いますが、ここでは、日本語の「~は」とか「~です」「~ます」といった、いわゆる文を整えることばがハワイ語にはないことを心にとめていただけたらと思います*。


●「'o」がつくのは強調したいことば

 次に、話し手の意識によって語順が変わる仕方を、「AはBである」と訳される「である文」で確認したいと思います。まずは、気になる誰かを花にたとえるときのフレーズから……。

 3)He pua 'oe.     
あなたは花(のようなひと)です。

 ここで「pua」(花)についている「he」は不定冠詞と呼ばれることばで、ニュアンスとしては、特定の花ではなく、あなたの性質を語るために、「(花)という種類のもの」という意味合いで用いられています**。この文を、「'oe」(あなた)を強調すべく書き換えてみると……

 4)'O 'oe, he pua.     
あなたなんですよ、花のようなひとは。

 こんなふうに、「A=B」という文を入れ替えて「B=A」にできるのも、ハワイ語の特徴のひとつ。また、このルールは、イコールで結ばれる要素(A、B)が長くなっても変わりません。なので、長くてやっかいな印象の文でも、「'o」や「he」に注目すると、どこからがAでどこまでがBなのかを判断しやすくなります***。


●ことばを連なりでとらえる

 ここまで、ハワイ語のことばの並び方(語順)にまつわるルールをざっくりたどってきました。語順のルールがわかってくると、ここは主語、ここは動詞といった具合に、文の要素を切り分けられるようになる……はずなのですが、その前につかんでおきたいのが、ことばを連なりでとらえるコツ。まずはその基本のキホンからまとめておくと……


*もの・こと(名詞)には定冠詞「ka」「ke」もしくは不定冠詞「he」がつく
 
5)ka pua    花

6)ke aloha    愛、深い思い

7)ku‘u lei    私の(大切な)レイ  

8)he pua     花(という種類のもの)

 ハワイ語の名詞に、定冠詞がつくというルールはとにかく徹底していて、「ku‘u」(私の大切な)といったことばにも、「k-」の部分に定冠詞が含まれていたりします。繰り返しになりますが、定冠詞と不定冠詞「he」のニュアンスの違いも、なんとなくでも気にとめておいてくださいね。まずは「He aha ke*ia?」(これはなんですか?)、「He pua ke*ia」(これは花です)といったやりとりに、定冠詞ではなく不定冠詞「he」が用いられることを押さえておきましょう****。
 もうひとつ、「holo(走る)が「ka holo(走ること)に、「nani(美しい)が「ka nani(美しさ)になったりと、動作や状態をあらわすことばを名詞にすることも、定冠詞の重要な役割です。
 次に、先に挙げた名詞の前に、「me」(とともに)、「no」(~のために)といった短いことばを添えてみます。


*名詞に「意味を添えることば」

9)me ke aloha    愛とともに

10)no ku‘u lei    
私の(大切な)レイのために(捧げる)

 こんなふうに、「me」「no」といった短いことばは、次にことばが連なってはじめて意味を持ちます。このあたりのよくみかけるフレーズに慣れることで、ことばを連なりでとらえるコツをつかんでいただけるのではないかと思います。
 最後に、二つのことばを「つなげることば」として、「~の」と訳される「o」の使い方をみてみます。


 *二つのことばを「つなげることば」

11)ka nani o ke*ia pua  
この花の美しさ  ※ke*ia(この)

 この「o」も、先の「意味を添えることば」同様、単独ではなく「o ke*ia pua」(この花の)と連なってはじめて意味を持ちます。日本語では「この花の美しさ」と語順が逆になっていることにも注意しましょう。「Ka pua nani(美しい花)といったりするときの、修飾することばの語順と同じですね。

 まもなく200回目という節目を迎えることをちょっと意識したりもしながら、仕切り直しの意味を込めてまとめみました。これからも、「どこからでも読める」というコンセプトのもとで続けていくつもりですが、と同時にブログのほうには、ある程度、整理した形でアーカイブ化していきたいと思っています。内容についてのご要望などにもできるだけお応えしたいので、気軽にご連絡いただけると幸いです。メールお待ちしております。

*:「Nani no* 'oe」(あなたは美しい)の「no*」は、特定の意味や文法的な役割というよりも、話し手の感情というか気持ちがあらわれることば。日本語で「きれいよね」「きれいだわ」と言ったりするときの語尾に近いと考えられますが、その意味で、ハワイ語の「no*」には、文の調子を整える役割があるとも言えそうです。
**:漠然と「~という種類のもの」というニュアンスのある不定冠詞に対して、話題になっている具体的なものごとにつくのが定冠詞「ka」「ke」。たとえば、「朝ご飯になにを食べましたか?」という問いに対する「パン」には不定冠詞(たとえば、「〈ご飯ではなく〉パン」というニュアンス)。一方、「○○ベーカリーのパンはおいしい」という文脈であれば、定冠詞となります。
***:4)で「'oe」を文頭に連れてくるときに用いられた「'o」は、文頭には大事なことがくるというルールからすると、「強調の印」であるともいえます。
****:定冠詞の使い分けは、おおむね「k」「e」「a」「oで始まることばには「ke」、それ以外は「ka」というルールがあります(例外あり)。

Lei Lehua






https://www.youtube.com/watch?v=EiP__AKGyco


 ハワイは生命力に満ちあふれている。
 (まさしく)Lehuaのleiがその証(あかし)。
 (それは)Keaweで名高い島にふさわしく、
 大地に命を与えるleiなのです。

 Ola no* Hawai’i
 I ka lei lehua
 Ka wehi o Keawe
 Lei ho’o*la o ka ‘a*ina

 ゆったりと連なるさわやかなメロディが、ここちよいハワイの空気そのもののように心に響く『Lei Lehua』。Hawai’iの大地が生命力にあふれている(ola no* Hawai’i)ことを物語るのは、溶岩流におおわれた大地にまっさきに芽吹く、lehuaの力強さに他ならないとされ、それこそがKeaweの島、Hawai’i島なのだと歌われています。ことばを切り詰めた描写だけに、受け手の想像力が試されるところがありますが、すべてが失われたかにみえる殺伐とした風景には、このシンプルさこそがふさわしいのかもしれません。そして、そのなにもないところに新たなはじまりがあることを告げるのがlehuaであることから、「大地に備わった命を与えるlei」(lei ho’o*la o ka ‘a*ina)と詩的に表現されています。

 Kanilehuaの祝福を受け、
 二人してすがすがしい気分になった(ことを思い出す)。
 赤い花びらがしっとりぬれて、
 山手を赤く染めていたな……と。

 Li*hau mai nei ka*ua
 I ke Kanilehua
 Pulu na* lihilihi weo
 Ho’opu*nono i ka uka

 「Kanilehuaの雨で」(i ke Kanilehua)、「私たちは(あのとき)リフレッシュしたなぁ」(li*hau mai nei ka*ua)と歌われ、この歌の作者が、ともにKanilehuaにぬれた誰かとの思い出を回想しているような、そんな雰囲気があるバースです。Kanilehuaといえば、Hawai’i島東部のまちHiloあたりに降る、細かく柔らかい驟雨を指すことば。その名の通り、コロコロと音をたてるようにlehuaをなでるKanilehuaに、二人してしっとりと包まれたあの日。山手をみると、lehuaの赤い花びらで、あたり一面、赤く輝くように染められていた……Lehuaが群生している森のようなところが想像されますが、もしかすると、記憶のなかの風景が、ときを隔ててより美しく回想されているのかもしれません。あるいは、素敵なときを過ごした誰かとの思い出が、目にした風景をより特別なものにしている可能性もあるでしょうか。

 (Hawai’iよ)あなたはとびきり愛されている。
 そう、たくさんの鳥たちに。
 輝かしいHa’eha’eから、
 心地よく広がるLehuaの地にいたるまで。

 He punahele no* ‘oe
 A ka nui manu
 Mai Ha’eha’e linolino
 A i ka mole ‘olu o Lehua

 Ha’eha’eは、Hawai’iの最東端に位置する土地。まっさきに太陽がその地に姿をあらわすことから、命の源である太陽への信仰とともにイメージされる場所でもあります。一方、「心地よい土地」(ka mole ‘olu)と語られるLehuaは、ハワイの島々のなかでも西の端にある島。前半のバースでは、Hawai’i島だけが語られていましたが、このバースでは、東西に連なる島々を一気に見わたすように、Hawai’iを愛してやまない鳥たち(ka nui manu)の視点から風景が眺められているようです。

 (私は)ずっと、ずっと永遠に、
 消えることのない(島の)美しさに祝福されている……。
 そんな(この上ない)気分で、深く思い至った気持ちを歌にしてみました。
 (この思いが)ずっと歌い継がれることを願って……。
 
 Lei i ka nani mae ‘ole
 No na* kau a kau
 He leo aloha ke*ia
 A mau loa aku no*

 「私はずっと消えることのないleiを身につけている」(lei i ka nani mae ‘ole)……この確信に満ちた語りを支えているのは、島の自然に対する信頼や感謝の気持ちに他ならないと思われます。自分がこうして生かされているのは、大いなる大地に守られてこそ―その思いを形にしたlei、生命力の象徴であるlehuaをleiにするようにつむがれたこの歌(he leo aloha)が歌い継がれるように(a mau loa aku no*)、Hawai’iの島々がずっと健やかでありますように……『Lei Lehua』には、そんな願いが込められているに違いありません。

Lyrics by Kalikoli*hau Paik, music by Mark Yamanaka