Makee‘Ailana





 Makee 'Ailanaは愛すべき島。
 そこは波のしぶきに囲まれていて。

 二人きりで過ごすと、三つめは、その喜びに満ちた島
 (って感じで、そこで過ごす時間がとびきりステキになる)*。

 だれもが愛してやまないMakee 'Ailanaの美しさと、そこでの楽しかった記憶をたどりながら、大切な思い出がいとおしむように歌われる『Makee‘Ailana』。Makee ‘Ailanaは、かつて、Waiki*ki*周辺が湿地でおおわれていたころ**、その東の端にあるカピオラニ公園の、現在は動物園がある入り口あたりにあった場所。「'Ailana」は英語の「island」のハワイ語読みで、公園が整備されたときにできた人工池にあり、小さな橋でわたることができる、沼地の浮島のようなところだったようです。

 僕は水の音とかがお気に入りだった。
 (だって)二人で心地よく過ごしなよ……って誘うようだったもの。

 ひと目を避けるために、若い恋人たちがよく訪れる場所だったとされるMakee 'Ailana。島のように周囲から隔離されていて、静かに二人きりの時間を過ごすには格好の場所だったようですね。あの(こちらにささやきかけるような)水の音が好き。あぁ、いまこの涼しいMakee 'Ailanaに二人でいるんだなぁとしみじみ感じられる、あの水の気配が……。生い茂る木立や池に囲まれて、そうとう快適に過ごせる空間だったのかもしれません。たとえば、熱い二人にとっては、ひととき時間も止まってしまいそうな……。

 もし、(いま)きみと僕が一緒にいたらなぁって思ってしまう。
 ロッキングチェアーにゆられてよ(って思うあなたは、もういないのだけれど)。

 いま、あなたと私がここにいたらなぁ……ってことは、Makee 'Ailanaで一緒にいい時間を過ごしたあなたは、いまはもうここにはいないってことでしょうか。それにしても、このロッキングチェアー(noho paipai)の登場の仕方、かなり唐突でいったいなに?って感じですが、これはおそらく、二人してMakee 'Ailanaで楽しんだことを比喩的に表現しているものと思われます。ロッキングチェアーというと、ゆったりとくつろぐイメージがありますが、ハワイ語の「pai(pai)」は、促す、鼓舞する、興奮する、持ち上がる、といった、結構激しい動きを連想させることば。というわけで、いつまでもロッキングチェアーのようにガッタンゴットンしていたいなぁ……みたいな、単純な繰り返しがたまらなく幸せだったりする、若い恋人たちの愛のしぐさなんかも想像されます。

 この思いが伝わることを願って、もう一度歌おうと思う。
 Makee 'Ailanaと口にするだけで、いろんな思いがあふれ出してしまうのです。

 大切な記憶の数々をよみがえらせてくれる(hu'e ka mana'o)Makee 'Ailana。あまりに遠くなってしまった思い出が、失われていっそう輝く宝物になってしまうさびしさを感じずにはいられませんが、なぜ、Makee 'Ailanaなのか?を探るために、その場所にまつわる時代背景をたどってみたいと思います。
 1870年代の終わりにはじまったカピオラニ公園の造園過程で、Makee ‘Ailanaがその一部として整備されたのが1880年代はじめのこと。1920年代にAla Wai運河ができたころにはその姿を消すことになりますが、恋人たちがそこで特別な時間を過ごすことができたのは、公園の木が十分に育ってシェルターになり始めた1880年代後半から、90年代はじめの限られた期間だったようです。というのも、1893年にはLili'uokalani女王の逮捕、幽閉を経て王政が消滅、1895年には、合衆国併合を目指す議会勢力によってハワイ共和国が成立……そんな、政治的、社会的な混乱のなか、ハワイ共和国政府(当時の暫定政権)が、反対派の暴動に備えて、Makee ‘Ailanaを軍のキャンプ場兼練習場(campground and practice field)として使いはじめたからです***。ハワイが合衆国に併合された、1898年当時のMakee ‘Ailanaの様子ははっきりしないようですが、合衆国軍がカピオラニ公園の乗馬トラックを接収していたという公的記録が残されているところをみると、市民の憩いの場とはほど遠い場所になっていたであろうことがうかがえます。
 その後、米国がフィリピンに対する覇権をめぐってスペインと戦争状態になった頃には、公園を恒久的に軍事施設として利用する計画も持ち上がっていたといい、衛生面での環境を整えるべく、湿地を解消する要請が公になり始めたのもこのころだったとされます。そうして、1921から1928年にまでおよぶ大工事の末に、Ala Wai運河が完成。Makee ‘Ailanaも、1924年には埋め立てられて、思い出のなかにだけ存在する場所になってしまったというわけです。
 この歌を作ったとされているJames K. 'I*'i* の父、John Papa 'I*'i*(1800-1870)は、子どものころからKamehameha二世とともに過ごし、Kamehameha三世の時代には貴族院議員を務めるなど、当時の政治の中枢にいたひとでした。そんな父を持つ出自からすると、James K. 'I*'i*も王政派なのかと思いきや、1893年に結婚した当時から1937年に亡くなるまでの彼の生業は、合衆国併合派よりのメディア『Honolulu Commercial Advertiser』の印刷オペレーターだったとのこと。もっとも、それだけでは彼の心情的な部分まではわかりませんが、少なくとも彼が、米国化が加速する以前のハワイを知っている世代であることは、きわめて重要ではないかと思ったりします。そう、彼はMakee ‘Ailanaが跡形もなくなるような仕方で姿を消していった、ハワイの激動の時代をまのあたりにしてしまった……そう考えると、大波にさらわれるように失われたものを思いながら、沖合をただ見つめるしかないひとの、割り切れぬ思いみたいなものを感じてしまうんですね。そして、この歌の遠くからかすかに響いてくるようなノスタルジックな雰囲気こそが、ハワイがまだかろうじて「ハワイ」であったころの名残なんだろうか……と、私なりに想像したりもする、『Makee ‘Ailana』なのでした。

*: 2番の歌詞には「'elua, 'ekolu no* ma*kou」とあって、文字通り訳すと、「2人ではなくて3人なのか?」あるいは「ほかにもカップルがいるのか?」みたいな感じで、どうも釈然としないところがあります。ですが、古いハワイアンソングにはよくある修辞法らしく、2人きりの愛の時間を可能にしてくれるという意味で欠かせないその場所や、2人によりそうように吹く風といった自然現象が、「私たち」に含められて「ma*kou」(3人以上の代名詞)と表現されることがあるようです。 こんなところにも、土地('a*ina)を擬人化して表現するハワイ語の世界観があらわれているのかもしれません。なお、この解釈については、Ha*lau Mo*hala ‘Ilimaの『2009 Merrie Monarch Fact Sheet』が元になった、以下のサイトを参考にしました。
http://www.halaumohalailima.com/HMI/Makee_Ailana.html
**:Ala Wai運河の整備が始まったのは1920年代のこと。それまでワイキキ周辺といえば、タロイモやコメを育てる水田がひろがり、池にアヒルが群れているような場所だったようです。ちなみに、Makee 'Ailanaは、もともと王族が所有していた土地に公園を作るべく、1876年に設立された「The Kapi‘olani Park Association」(The KPA)の長、James Makeeに因んだもの。
***:ハワイ語新聞『Ka Makaainana』の1895年の記事による。

by James 'I*'i*
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