E Pili Mai





 (この気持ちを)君に伝えたい、
 夜になると思ってしまう、大切なあなたに。
 (でも)夜は寒々しく、ぼくはひとりぼっち。
 いとしいひとよ、
 さぁ、ぼくのところへ……。

 夜の問わず語りを思わせる美しいメロディに、思いを募らせる誰かの切なさが静かに響きわたる『E Pili Mai』。慣用的に「listen!」(聞いてください)の意味で用いられる「‘auhea wale ana ‘oe」も、ことば通り「あなたはどこにいるのですか?」と訳したくなるストレートさが、このmeleの切なさをいっそう際立たせている印象もあります。
 そうして呼びかけられる対象、「Ku’u lei o ka po*」は、文字通り訳すと「夜に身に着ける大切なlei」。「夜になると思ってしまう」と訳しましたが、横たわるときに(身に着けるように)肌にふれていてほしいものといえば、すべてをゆだねてくれるパートナーの、温かい両腕(がleiのように結ばれたサークル)だったりするでしょうか。でも、寒々とした夜に(po* anu)たった一人(ho’okahi no* au)。それでも、結ばれることを夢見て呼びかけるんですね。ぼくと一緒になろうよ(e pili mai)と……。

 もしもきみとぼくが、
 あのMakanaの燃える火を目にすることがあったら、
 それはalohaが届けてくれる贈り物。
 (そうしたら)すっとずっと、
 きみとぼくは(一緒にいられる)……。
 いとしいひとよ、
 さぁ、ぼくのところへ……。

 もしもきみとぼくが(ina* ‘o ‘oe a ‘o au)、Makanaの火(ke ahi o Makana)を見ることがあったら……と、なんとなく願掛けするような感じがありますが、ここに登場するMakanaは、Kaua’i島の北側、Ha’enaの地にそびえる海に面した絶壁の名前。Ha’enaといえば、火の女神Peleが愛したLohiauにまつわる伝説や、古代にhulaを志すひとたちが集い学んだとされる構造物の遺跡が残されるなど、hulaの聖地と呼ばれるにふさわしい場所でもあります。また、古代の習わしでは、hulaの特別な学びを終えた生徒が、hauやpa*palaの薪を背負って約1,600フィート(約500メートル)もあるMakanaに登り、火をつけては一つずつ海に向かって投げたようです。それは、hulaのトレーニングをやり遂げたことを祝う行為だったようですが、そんなMakanaの火(ke ahi o Makana)が贈り物(he makana)にかけられ、さらに「alohaによってもたらされるもの」(na ke aloha)と歌われているのは、愛の成就をこころから願う思いを、古代の儀式になぞらえて表現したものではないかと思われます。また、薪をかついで急な坂道を登る大変さや、たいまつが空を舞うように飛んでいくほど風が強いというその場の状況を考え合わせると*、ロマンティックなことばの裏側に、なんとしても愛を獲得したいという、強い意志が表明されているようにも思えてきます。
 この後、「ずっとずっと」(no na* kau a kau)、「あなたとわたし」(‘o ‘oe a ’o au)の関係が続きますようにと、ほとんど祈りにも近い、深いため息のような歌詞が続きます。喜びであるはずの恋が、どうしてこんなにもつらかったりするんだろうって感じですが、少なくとも、あなたとわたしがいなければ始まらないことが、この世にあることだけは確かでしょうか……。アダムとイブを思うまでもなく、愛を求める喜びは、あまりにもありふれた、しかし、人生における最大の試練といえるのかもしれません。

参考文献
1)Joesting E: Kauai-the separate kingdom. Honolulu, University of Hawaii Press, pp32-35, 1988

*:Makanaを背にした海沿いにあったとされるheiau、「Ka-ulu-a-Paoa」は、上級を目指すチャンターがoliのトレーニングに訪れたところ。そこで波の音や風の強さに妨げられながら発声することが、チャンターにとっては絶好の訓練になったようです。
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