Mai Italia Ko* Lei Nani







 イタリアからやってきた、あなたの美しいlei(のような連なり)。
 (それは)王冠の上に輝く宝石の数々……。
 フランス(の職)人によって技巧を凝らされたもので、
 見るともう、キラキラ光輝くさまが半端ないのです。

 「イタリアからやってきた」(mai Italia)というフレーズに、これからなにが語られるんだろう?といきなり歌の世界に引き込まれてしまう『Mai Italia Ko* Lei Nani』。冒頭の「Mai Itali ko* lein nani」を直訳すると「イタリアからやってきたあなたの美しいlei」となりますが、歌われているのは「王冠の」(o ke kalaunu)上に連なっている「キラキラ光る宝石類」('o ka 'o*pu'u liko)1)。「きちんと計算されて作られている」(ua hana no'eau 'ia)と語られるその美しさは、「フランス人による」(e Palani)とも歌われ、ヨーロッパ文化の粋を集めた逸品を目にしている感動が伝わってくるようです。

 (とりわけ)ダイヤモンドの美しさは無限の輝きで、
 私の目には、なにかこの世のものではない美しさに見える。
 (たとえば)流れ星の軌跡が、
 太平洋の波の揺らぎにちらちら瞬いているような……。

 「ダイヤモンドの美しさが放つ輝き」(ke 'alohi o ka nani o ke kaimana)がとりわけ美しいと歌われる特別な王冠。それは、完成したばかりのIolani Palaceで行われた、Kala*kaua王の戴冠式でお披露目されたものでした2)。王冠は、Kala*kaua王と王妃であるKapiolani女王それぞれのために特注されていて、合計521個のダイヤモンド、オパール20個、エメラルド8個、54個の真珠など、ヨーロッパ各国から集められた宝石がちりばめられていたようです。歌詞に「ke kaimana」(ダイヤモンド)が登場するあたり、数が多かったダイヤモンドの存在感が、なんといっても圧倒的だったであろうことがうかがえますが、その美しさは「流れ星」(ka ho*ku* welowelo)の軌跡とともにあった(me he ala)なんて、ダイヤモンドに反射する光が四方八方にのびてあたりを照らしていたんだろうか……なんてことも想像されます。しかもその輝きは、「太平洋の水面に」(ma ka 'ili kai o ka Pa*kipika)反射するようだったとも語られていて、セレモニーを見守っていたひとびとの夢見心地な気分も伝わってくるようです。もっとも、「見慣れぬもの」(mea 'e*)の美しさだったとされることからすると、どう表現していいものかと困ってしまうほど、その輝きにたまげてしまったというのが本音だったりして……。それはともかく、当時のハワイのひとびと、とくにハワイのnativeにとっては、ヨーロッパの王冠なんて想像もつかなかったでしょうから、なかには「なんだこれは!?」と思ったひともいたのではないかと思ったりします。

 (その王冠が)三本マストの船、南航路の蒸気船で運ばれて、
 あなたの美しさが完成され、(こうして)お披露目することになった。
 (そうして、いまや)われらが女王の地位は、ゆるぎないものになったのです。

 王冠が)南航路の蒸気船によって」(e ka laina moku ahi o ka hema)運ばれたことで、あなたの美しさは(ko* nani)完成されてお披露目されるに至った(ku'u 'ia la* i pau pono)……海外からの輸送手段といえば船しかない時代、そうやって海をわたってくるだけでもありがたかった当時の感覚が伝わってくるようです。それにしても腑に落ちないのは、なぜ主役であるはずのKala*kaua王ではなく、王妃にだけスポットがあてられているのかということ。そう、ここにいたって、ことばを尽くして讃えられてきた王冠が、Kala*kaua王ではなく、Kapiolani女王のものであることが明かされるんですね。戴冠式自体も、彼が王位についてから9年も経ってから行われていたりして、「(これで)女王の生活も安泰だ」(a i la'i ka nohona a'o ka wahine)なんていわれると、そんなことをあらためていう必要があるほど王政が不安定だったのか(!?)と深読みしたくなる語りではあります3)。

 あなたの民はみな(そのことを見て)了解しています。
 あなたのこのよき日に、確固たる装いで(お出ましになったわけですから)。
 そうして、この歌の思いは(聴くひとみなに)届いたことと思う。
 高みにのぼりつめたKapiolani女王が、この上なく高貴なおかたであることが……。

 「(女王であるあなたにとっての)このよき日に」(i kou la* nui)、「確固たる姿で(お出ましになった)」(hao a pa'ihi)……このあたりは、「hao」4)ということばの力強さから、王冠を授与され、威厳のある堂々とした面持ちで参列者の前に現れた、王と王妃の姿が想像されるくだりです。それでも、ここであらためて語られるのはKapiolani女王がこの上なく高貴であること('o Kapiolani i ka 'iu o luna)だけ……王朝賛歌であることは間違いないとしても、置いてきぼりのKala*kaua王の扱いがどうなっているのか、気になるところではあります。
 王国のインターナショナルなイメージを確立するねらいもあって、世界各国を回ったとされるKala*kaua王。豪勢な戴冠式を行ったこともその延長線上にあったのかと思いきや、どうもそればかりではなかったようです。というのも、そのセレモニーは、ハワイでも久しく公的な場で禁じられていたhulaが華々しく催されるなど、ハワイの伝統に回帰しようという王の意図を決定的に印象付けるものだったからです5)。
 そんな戴冠式をめぐる彼の一連のふるまいは、キリスト教的モラルを絶対視する宣教師はもとより、広くhaoleの反感をかきたて、国の財政を悪化させるだけの無駄遣いに過ぎないと徹底的に批判されます。一方、政治的にhaole層に対立する立場にあったnativeのひとびとにとっても、王族としての血筋の不十分さもあって人気がなかったKala*kaua王6)。戴冠式のあと1週間にわたって催された宴では、5000人ものnativeが貧富の隔たりなく招待されたようですが、そうやって「われらの王」であることを演出する必要があったほど、nativeのひとびとのこころが離れていたことが、いまさら感のある戴冠式をせざるを得なかったなによりの事情であり、伝統回帰的な態度を後押ししたのではないかとも考えられます。
 この戴冠式については、hulaをはじめ内容的に問題ありとされたプログラムを作った人物が罪に問われてもいて、王国挙げてのセレモニーであるどころか、同じ群島に暮らしながら利害を異にするひとどうしの隔たりを、より先鋭化させてしまった大事件であったことがうかがえます。結局、(プログラムを作った)被告は「そもそもハワイ語がわかっていなかった」というところで決着したようですが、もはやその意味するところの是非を公の場で議論することもできないほど、ハワイ的価値がないがしろにされていた時代状況がうかがわれるエピソードではあります。
 そして、戴冠式で披露され問題になった「hula」とはなんだったかというと、それはなにより王族の系譜をたたえ、その礎がAkua(神的存在)につながっているという信仰を表明するものでした。それに反対することは、とりもなおさず伝統的な王朝を頂点とする政治体制を認めないことであり、単に性的な内容を含むことがモラルに反するといったことではなくて、問題の核心はきわめて政治的なものであったと考えられます7)。
 戴冠式でのKala*kaua王は、伝統的に支配階級の王族に許された「lei niho palaoa」(クジラの歯の首飾り)や「'ahu'ula」(赤い羽根のマント)を身につけ、王族の印である「ka*hili」を高く掲げてもいたようです。そんなハワイ古来の様式美とともに西洋の王冠が登場したこと自体が奇妙ではありますが、戴冠式後、王冠は二度と身につけられることがなかったと聞くと、結局すべてはハワイの伝統を復活させるための方便だったんだろうか(?)と思いたくもなります。
 戴冠式の数年後、王朝転覆の際の混乱のなか、暴徒化した兵士に宝石の一部を奪われてしまったKala*kaua王の王冠は、現在、フェイクの宝石を張り付けて保存されているといいます。王国の繁栄を祈念して作られた王冠が、失われた権力の象徴として存在する今日。王不在のまま戴冠式を語り継ぐ『Mai Italia Ko* Lei Nani』は、ハワイ王朝が終わりの始まりをやり過ごしていたころの、華やかさと翳りをいまに伝えるmeleであるといえるのかもしれません。

Traditional/Kinoiki Kekaulike

注 釈
1)Leiというと、まずは首まわりを飾るものを連想しますが、ハワイ語で「lei po’o」といえば頭部に身に着けるものであり、王冠をleiと呼ぶのもハワイ語の感覚では自然なことなのかもしれません。また、「ka 'o*pu'u」はハワイで伝統的に身に付けられてきたクジラの歯で作られるペンダントですが、ここではアクセサリーのパーツを意味するととらえて「宝石」と訳しています。
2)1881年に9カ月にわたって外遊した際、Kala*kaua王がLondonで発注したもの。なお、戴冠式が行われたのは1883年2月12日。
3)Kapiolani女王のlei(crown)について語るchantは複数存在し、1800年代に記されたそれらの記録が、Bishop Museumのアーカイブに8つ残されています。それらをもとに後年になって歌われるようになったのが、この『Mai Itala Ko* Lei Nani』で、同様のテーマはMerry Monarch Festivalでも繰り返し取り上げられているようです。
4)「Hao」には、「鉄」のほかに、「(風や雨が)力任せに(強く)やってくる」といった意味があることから、堂々たる迫力で、王冠などもきちんと身に着けて(pa'ihi)いる様子を描写していると解釈してみました。
5)キリスト教化が進んだ1820年代以降、みだらな異教の文化として排斥の対象となったhulaは、1827年には早くも法律で禁止されていました。
6)Kala*kauaよりも血筋的にはKamehameha一世に近く、Nativeにも人気があったQueen Emma がKala*kauaに王位を譲る結果になったのは、Kala*kaua が土地の取得や税制面での優遇など、サトウキビのプランテーションを振興すべく政策転換したことで、米国派であるhaole勢力を味方につけたことが大きかったとされています。
7)王の権威に対する承認を取り付けるべくその地位を声高に宣言するセレモニーが、その拠り所を王族としてのしかるべき系譜に求めたことは、実はKala*kaua王が王位継承をめぐって対立した、(王族として上位にある)Queen Emmaを讃えることにほかならず、時期はずれなセレモニーが、政治的にいかに微妙なものであったかをうかがうことができます。ちなみに、Queen EmmaをはじめPrincess Pauahi(Kamehameha五世の後継者とされながら辞退)、およびその夫であるCharles Bishopといった王族は、この戴冠式には出席していません。

参考文献
1)Ku'uleialoha SA: Queen Kapi'olani's lei chants. Honolulu, Hawaiian Historical Society, Hawaiian Journal of History, volume 30, 1996
2)Barrere DB et al: Hula-historical perspective, Pacific Anthropological Records No. 30. Honolulu, Dept. of Anthropology, Bernice P. Bishop Museum, 1980, pp133-139
3)Osorio JK: Dismembering lahui-a history of the Hawaiian nation to 1887. Honolulu, University of Hawaii Press, 2002, pp193-205
4)Lowe RH: David Kala*kaua. Honolulu, Kamehameha School Press, 1999, pp55-65
5)Liliuokalani: Hawaii's Story by Hawaii's Queen. Honolulu, Mutual Publishing, 1991, pp100-105
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