Ku'u Poli'ahu





 Mauna Keaはりっぱにそびえ、あまりに美しく、
 私を導いてくれる母を思い起こさせるすばらしさ。
 (それは)Poli'ahuが……そう、雪のケープをまとう女神が、
 こちらへおいでと手招きし、温かく私を包んでくれる(ように感じるからだろうか……)。

 雪をいただくMauna Keaを見上げながら、こみ上げてくる思いのままにつむがれたような、シンプルな歌詞とメロディがこころに響く『Ku'u Poli'ahu』。Kalani Pe'aによるこのmeleは、彼がハワイ大学Hilo校に在学中だった1999年に作られたもので、表向きにはMauna Keaを讃えていますが、そこには母への尽きせぬ思いが重ねられているといいます(収録CDの歌詞カードによる)。
 Mauna Keaといえば、標高4,200メートル超のHawai'i島の最高峰。雪の女神Poli'ahuの伝説で知られるように、その山頂あたりに白いケープをまとうように雪をいただく美しい山です。ここではそんな雪山の様子が、「女神が温かく抱き寄せてくれる」(pumehana ka wahine e 'apo mai e*)と歌われていて、まるでその雪のケープ(kapa hau anu)でもって包まれることを夢見ているようでもあります。日本語だと、雪といえばまず寒さを連想してしまいますが、そのあたり、日本語とハワイ語では感覚が違うのかもしれません*。そしてなにより、その神々しく雄大な姿に、「自分を導く親的存在」(ka Makua o ku'u lani)**を重ね合わせているあたり、その姿に見守られながら育ったひとならではの、ふるさとの風景に寄せる特別な思いがあるに違いないと思ったりします。

 その山は、雪に被われた姿で迎えてくれる。
 (でもそこには)いくつもの建物が集まるエリアがあって、母なる大地が占拠されてもいる。
 騒々しい音がすごく、(聖なる土地が)台無しになっていて、
 ずっとずっと(このすばらしき山が)守られますようにと願わずにはいられないのです。

 ここでは、先のバースの夢見るような雰囲気から一転して、いきなりMauna Keaをめぐる厳しい現実が描写されているようです。「Na* hale」(建物の複数形)とだけあって具体的には語られていませんが、山が「雪のマットでもって」(i ka moena hau)出迎えてくれるとあるので、おそらく、山頂に足を踏み入れたときに見られる光景が語られているものと思われます。だとすると、そこにある建物といえば……そう、Mauna Keaの天体観測施設ですね。晴れた日には、ふもとの町からでも山頂にあるのがそれとわかるほど巨大な構造物が、山頂の特定のエリアに13基もあるといいますから、人工物に取り囲まれた(po*'ai na* hale)その場所は、母になぞらえたくなるほどその土地に思い入れのあるひとにとっては、大切な(母なる)大地を占拠された(puni ka Makua)、嘆かわしい状況にほかならないわけですね。「Ua kani a 'u'ina」(騒音がずっと聞こえる)ともあり***、それだけの施設が稼働し維持されるためのエネルギーを考えると、爆音はもとより、環境に対する影響も気になるところ。そしてなにより、(この山が)ずっと守られますようにと願う(e ano'i pono no* e pu*lama mau)祈るようなことばに、単にロマンチックで感傷的な見解と片付けてしまえないなにかを感じるんですね。Mauna Keaを親族(ka makua)のように大切に思うひとだからこそ感じる、これだけはゆずれないという直観みたいなものが表明されているのではないかと……。

 Poli'ahuよ……と、そのうるわしい姿に呼びかけてみる。
 Poli'ahuこそ、私を導いてくれる守り神。
 Mauna Keaがりっぱで、あまりにも美しいのがその証(あかし)。
 私をひきつけてやまない、見上げるべき母なる存在の象徴なのです。

 その姿と向き合っていると、なぜかそのうるわしい姿に呼びかけ(e noho nani mai)、「eo* mai Poli'ahu」とその応答を求めたくなるMauna Kea。ものいわぬ自然も、その山を「ku'u Poli'ahu」(大切なPoli'ahu)と恋い慕うひとには、ちゃんとその声を届けてくれるものなのかもしれません。ですが、もし、そうなのだとしても、その山を母親(makuahine)になぞらえたくなる気持ちには、その文化を共有しないものにはにわかに理解しがたい、きわめて土着的なものを感じたりもします。このあたりについて、ハワイ語からたどれる限りでイメージをふくらませてみると……まず、親の世代をあらわす「makua」は、先祖の生まれ変わりとしてイメージされることも多い家族の守り神「aumakua」に通じており、さらに高次の神的存在である「akua」にまで遡れることば。だとすると、「ka Makua」であらわされているのは、母である以上に、そこに至るまでの祖先たちや、彼らが大切に守り伝え、作者自身は母を頼りに学んだであろうハワイの伝統そのものだったりするのではないか……なんてことも考えられるんですね。とりあえず、個人的な思いを、ハワイ的英知といった普遍的なものに接続しつつ語る、ハワイ文化特有の修辞法として理解することもできそうですが、少なくとも、母を慕う思いと、Mauna Keaの環境破壊を憂える思いを同じ地平で語ることは、ハワイ的思考のなかではごく自然なことなのだと思われます。それにしても、雪山に女神の姿を重ねるまなざしと、近代科学的な知との間にある隔たりのなんと大きなことか……観光で訪れる者のあずかり知らぬところではありますが、Mauna Keaには日本の施設もあることくらいは、こころしておくべきかもしれません。
 宇宙の果てまでも明らかにしようとする科学の終わりなき欲望と、われわれはこの先どう付き合っていくべきなのか****。簡単に答えの出せる問題ではありませんが、原子力産業の現状を思い起こすまでもなく、科学的思考のなかに自らを制御する力を期待できない以上、それとは別の地平から見える風景に学ぶことも決して少なくないはず。そんなことを思うにつけ、古代に生きたハワイのひとびとが自然を語ったものという意味では、その時代の科学であったといえる神話のことばに、現代人が忘れてしまった大切なことを思い起こさせる力が備わっているのではないか……なんてことを思わずにはいられない、『Ku'u Poli'ahu』なのでした。

*:雪のほかにも、日本語では悲しみや試練のようなものが連想される雨が、ハワイ語では祝福や愛の予感になぞらえられることが多かったりします。
**:「天(国)」「空」と訳されることも多い「lani」は、思わず見上げたくなるような人物、たとえば王や貴族的な立場にあるひとや、付き従うひとにとっての主人などをあらわすことがあります。ここでは、それが「makua」(親)であるとされるところから、尊敬の対象でもあるという意味で「自分を導く親的存在」(ka Makua o ku'u lani)と訳してみました。
***:「'U'ina」は自然界の音では雷や滝つぼの轟音、人工的なところではピストルの発射音といった、かなり衝撃のある音の描写に用いられることば。
****:Mauna Keaの天体観測施設は、空気が薄く湿度も低いなど天体観測に適しているとされるその山頂に、1960年代になって建設されるようになったもの。現在、日本や米国をはじめ11カ国による計13基が集まり、マウナケア天文台群とも呼ばれます。90年代に伝統文化や自然を保護しようとするハワイのひとびとと観測施設との対立が表面化したようで、Kalani Pe'aはそんな時代の空気を感じながら育ったのではないかと思われます。2015年には、さらにTMT(口径30メートルの世界最大規模の超大型光学赤外線望遠鏡)を建設しようとする計画に反対する運動が起こり、計画の変更や既存施設の撤去など、開発の流れを大幅に見直す契機になったようです。
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