Pu*pu* A'o 'Ewa







 Ka'alaは美しく、このうえない穏やかさをたたえ、
 'Ewaではよく知られた山。
 (それは)大地の風を一身に受けとめ、
 Moa'eの風も誘うように吹いたりする、
 「私はここよ、いとしいひとよ」ってね。
 
 Nani Ka'ala hemolele i ka ma*lie
 Kuahiwi kaulana a'o 'Ewa
 E ki'i ana i ka makani o ka 'a*ina
 Hea ka Moa'e, “'Eia au e ke aloha”

 同じメロディが、『Perly Shells』として英語の歌詞で歌われてきたこともあって、メロディだけは馴染みのあるひとが多いと思われる『Pu*pu* A'o 'Ewa』。『Perly Shells』のほうは1960年代になって作られたものですが、このもともとのハワイ語バージョンは、1870年代、つまりKala*kaua王の時代のもので、彼にちなんで命名された教会の、ファンドレイジングのキャンペーンソングだったともいわれている曲なんだとか。ときは王朝末期、最終的に合衆国併合に至るシビアな駆け引きが行われていたころに作られたこの歌。政治的にきわめて微妙な状況下で、ハワイ語にメッセージをのせる限りは、それが理解できるハワイのネイティブに向けた特別な思いが込められている可能性もあるのでは(?)……と思いつつ読んではみるものの、Ka'ala山がそびえる様子を描写するバースを文字通りたどる限り、これといってひっかかるところはないように思われます。もっとも、問題はこれに続くhui(繰り返し)の部分。そのさわやかなメロディラインに反して、がっつり当時の時代状況を受けていることがうかがえるんですね。

 'Ewaの貝殻。
 (そして)多くのひとだかり。
 それは、ひとめ見ようと集まったひとびと。
 そう、その場所で(発見された)ビッグニュースを(聞きつけて)。
 (実は)あの地域はずっと知られていた。
 (そうわれわれの)先祖たちの時代から……。
 Pu'uloaの海といえば、どこもかしこも、
 Ka'ahupa*hauの通り道であることを。

 hui
 Pu*pu* a'o 'Ewa
 I ka nu'a na* ka*naka
 E naue mai a e 'ike
 I ka mea hou o ka 'a*ina
 A he 'a*ina ua kaulana
 Mai na* ku*puna mai
 Alahula Pu'uloa ke ala hele no Ka'ahupa*hau
 Alahula Pu'uloa ke ala hele no Ka'ahupa*hau

 'Ewa地域の貝殻(pu*pu* a'o 'Ewa)、そして、それを見ようと集まってきたひとだかり(i ka nu'a na* ka*naka e naue mai a e 'ike)……それだけ読むと、なんのことだかわかりませんが、貝殻のことがその土地のトップニュース(ka mea hou o ka 'a*ina)になり、しかもそのことは、「先祖の時代から」(mai na* ku*puna mai)知られていたと歌われるあたり、その場所を「kula iwi」*として生きる、ハワイのネイティブのひとびとの思いがあってこそだったことがうかがわれます。どういうことかというと……まず、ここで「Pu'uloa」と歌われているのは、現在のPearl Harborのこと。その英語名は、かつては真珠貝がたくさんとれる入り江だったことの名残で、19世紀のはじめ頃まで、オイスターは一般的な食材であり、多くのダイバーが漁を行ってもいたようです。ですが、山側の土地に牧場ができてから大量の土砂が流れ込むようになり、すみかを奪われた真珠貝は、その地から姿を消すにいたったとされます。しかも、そのことを記す記録が、早くも1830年代には存在していたりするんですね。地名にもなったほどの貝たちが根こそぎやられてしまったわけですから、当時の環境の変化がいかに猛スピードだったかがうかがえます。そして、時代はくだってこの歌が作られた1870年代、ひとびとの目の前に現れた貝殻は、少なくとも半世紀以上前のものだった可能性が高いと思われます。
 1898年にハワイが合衆国に併合されてから、米国の軍事基地としての開発が本格化したPearl Harborですが、その地は、Kala*kaua王(在位は1874-1891)による合衆国寄りの政策がはじまる以前から、つねに政治的な争点であり続けたところでもありました**。背景には、サトウキビ産業をめぐる両国の依存関係があったわけですが、そんななか、1875年に互恵条約が結ばれるにあたって、合衆国に対するPearl Harborの特権的な使用が認められることになります。そうしてこの港は、他国がアクセスできない場所となったわけですが、そればかりか、事実上、ハワイのひとびとの土地でもなくなってしまったわけですね。そんな状況のもとで発見された先祖たちの暮らしの痕跡を、ネイティブのひとびとが複雑な思いでもって受け止めたであろうことは、想像に難くありません。
 もっとも、その地をめぐる19世紀の歴史をたどっただけではわからないのが、huiのバースの最後のフレーズ、「Pu'uloa」と「Ka'ahupa*hau」という固有名が登場する箇所。「Pu'uloa」は、いまでは「長い丘」(pu'u-loa、long hill)というハワイ語そのものの由来もわからないほど古い名称で、ハワイのひとびとにとっても馴染みのない地名だったりするようです。ですが、Pearl HarborがPu'uloaと呼ばれていたころから、ひとびとが大切に語り継いできた物語は残されていて、その名残が、かつてPearl Harborにあったという養魚場(fish pond)の名前、「Loko-a-mano」だったりします***。そして、この「サメ」(mano)が守る池とも訳せそうなその名前とともにある物語の主人公が、この「Ka’ahupa*hau」という雌のサメなんですね。Pu'uloaの守り神として、ひとびとの信仰の対象だったKa’ahupa*hau。もともとは人間として生まれ、サメの神によって姿を変えたとも語られるあたり、危険を承知で海を生活の場として生きていたひとびとの、サメに対する畏怖と祈りとが入り混じった、微妙な思いがうかがわれます。そう、Pu'uloaといえば、Ka'ahupa*hauの通り道(ke ala hele no Ka'ahupa*hau)、人間が思うように形を変え、わがもの顔で船を行き来していい場所ではない……。自然を神聖視しつつ生活する価値観が失われたところに、途方もない災いを予感したネイティブもいたのではないかと想像されますが、王政自体が形骸化するなか、はからずもあらわれた貝殻を話題にすることしかできなかったのだとしたら……その無念さはいかばかりだったでしょうか。

 Poleaはすずしげにそびえ、
 旅人たちにとっては、心ひかれホッとする所。
 Kiaweの木陰でくつろいで、
 Kiuの風に気持ちよく吹かれながら……。
 
 Kilakia 'o Polea noho i ka 'olu
 Ia home ho'ohihi a ka malihini
 E walea ana i ka 'olu o ke kiawe
 I ka pa* kolonahe a ke Kiui

 冒頭のKa'ala山やMoa'eの風のくだり同様、Kiuの風に吹かれてくつろぐと歌われるこののどかな風景も、なんとなく貝殻の発見が語られる部分とは無関係に思われますし、なによりそのテンションの違いに驚かされます。もっとも、Pu'uloaといえばKa'ahupa*hauのためにあると信じるひとびとにとっては、気持ちよく吹き抜ける風にも、ハワイを守る神々の気配が満ちているのかもしれませんが……。そんなことを考えながら、人間と自然とのなにげない交流の描写にも、ハワイ的価値のありかたや倫理観があらわれているように思えてきた、『Pu*pu* A'o 'Ewa』なのでした。

Traditional

*:「Kula iwi」は、先祖がその土地に骨を埋めてきたという意味でのふるさとをあらわすことば。掘り出された貝殻のイメージにもつながるあたりに、ハワイのネイティブのひとびとと土地とのつながりかたがうかがえます。
**:合衆国併合か、もしくはPearl Harborの割譲かという両国間の駆け引きは1870年代はじめにはすでに行われており、ハワイのネイティブのひとびとの反対で実現に至らなかったという経緯があります。ちなみに、Pearl Harborが合衆国の手に渡り、本格的な軍事利用がはじまったのは1887年。この年は、Bayonet Constitution(「銃剣憲法」とも呼ばれる)が制定され、Kala*kaua王が実権を失った年でもあります。
***:1873年の地図(Lyonsによる)にはLokoamanoが記されていますが、米国海兵隊の基地建設のために、1900年ごろまでには埋め立てられたようです。

※サメの女神「Ka’ahupa*hau」にまつわる物語についてはこちら。
ハワイ語のはなし142「サメとパールハーバーと」
http://archives.mag2.com/0001252276/20161231200735000.html

参考文献
1)Samuel EH, Noelani MK: Na mele o Hawaii nei-101 Hawaiian songs. Honolulu, University of Hawaii Press, 1970, pp87-88
2)Osorio JK: Dismembering lahui-a history of the Hawaiian nation to 1887. Honolulu, University of Hawaii Press, 2002, p209, p248
3)Budnick R: Stolen kingdom-an American conspiracy. Honolulu, Aloha Press, 1992, pp36-178
4)Pukui MK et al: Place Name of Hawaii. Honolulu, University of Hawaii Press, 1966, p182
5)Sterling EP, Summers CC: Site of Oahu. Honolulu, Bishop Museum Press, 1962, pp41-56
6)Ancient O'ahu-stories from Fornander & Thrum. Kawaharada D ed., Honolulu, Kalamuku Press, 1996, pp47-49
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