Lei Hala






 Halaのleiを身に着けると、
 いつも不意にある思いがよみがえってくる。
 それは、忘れられることなく真実を語るもので、
 そういった記憶こそが、ハワイ人であることの証なんだ。

 自分のこころの奥底にある思いと向き合いながら、その対話のなかでつむがれたことばが語られているような、なにか特別な雰囲気を感じる『Lei Hala』。Halaのlei*を身に着けるといつもよみがえってくる(ho'ohali'a mau a mau)とされるその思いは、正真正銘の記憶(he ho'omana'o 'i'o)であり、それこそが、作者自身がその一員でもある私の共同体(ka'u la*hui)の存在証明にほかならない……そんなことが歌われていて、個人の思いを超えた、民族(la*hui)の記憶ともいえそうなことがらが語られていることがわかります。

 僕は風に運ばれて、
 いまだそのよさが知られずにいる花々のところにたどり着く。
 その生気あふれるすばらしさといったら驚くべきほどで、
 波しぶきにぬれて(キラキラ輝いている)。

 僕は風に運ばれて(ha*pai 'ia au e ka makani)、だれもその香りを楽しんだことのない花のところにたどり着く(i na* pua honi 'ole 'ia)……なんとなくロマンチックなものを感じさせる表現ですが、先のバースで語られた「民族の記憶」が詩的に言い替えられているのだとすると、ハワイのひとびとにとって大切なことが、それと気づかれないまま歴史のかなたに葬り去られている……といった状況が語られているのかもしれません。と同時に、「その生気あふれる美しさは目を見張るほど」(kupaianaha kona u'i)だといい、作者にとってそれは決して過去の遺物ではなく、エネルギーに満ちた生命そのものとして感じ取られているようです。さらにこの「花々」(na* pua)にたとえられるものが、「波しぶきにぬれている」(pulupe* 'ia i ke kai)と語られるあたりは、それらがあらゆる命の源である水の循環のただなかにあることを連想させるところもあり、民族のさらなる発展と明るい未来を祈念する、そんな思いが込められているのではないかと思ったりもします。

 (僕は)教え、学ばれてきた伝統のことを、ホントウにありがたいと思う。
 (だから)こころのなかで大切にとってあるんだ。
 伝えられてきたハワイの伝統を価値あるものとして認め、
 (それらが)しっかりと心にとどめられている(ことが大事だと思ってる)。

 ずっと太古の昔から、
 (祖先たちがたどった歴史あってこそ、僕らは)いま、この時代を生きている。
 (彼らが幾多の困難を乗り越えてこそ、僕らが)いまこの時代を迎えた(ことに感謝しながら……)。

 教え、教えられる営みのなかで(i a'o 'ia)、守り伝えられてきたハワイの伝統(na* mea)。それらが精神的な価値として(i ka pu'uwai)大切にされるところから(pu*lama 'ia)なにかがはじまる……そんな確信のもとで歌われているように思われる『Lei Hala』。「ずっと昔から」(mai ke ao ma mua)ということば遣いに、途方もなく長いスパンで過去を俯瞰するような雰囲気がありますが、そうして積み重ねられてきた民族の歴史のその先に、いま自分が生きるこの時代がある(me ke ao e hiki mai nei)という語りには、自らのルーツを確かめずにはいられない、強い意志のようなものも感じられます。太古の昔から今日に至るまで、われわれの祖先たちはどんな道行をたどってきたのか……そうして学ばれる(a'o 'ia)ハワイ的価値を出発点にすることで、作者自身の音楽活動も、自ずと個人の思いを超えることになるのかもしれません。
 学ばれるものといえば、多くのハワイのネイティブにとって、かつては母語であったハワイ語が学ぶべき言語になって久しいことなんかも思い起こされます**。抑圧の歴史のなかで、それでも生き残った言語で表現されることの、今日的意味とはなんなのか……。消費の対象として接する限り、音楽の一ジャンルに過ぎないハワイアンミュージックに、まぎれもなく政治的側面があることを忘れずにいたいものです。

by Josh Tatofi

*:ほかのどの植物でもなくhala(pandanas)が選ばれているのは、ハワイ語の「hala」に「時が過ぎる」「過去になる」「亡くなる」といった意味合いがあるためではないかと思われます。
**:過去を学ぶにあたって手がかりとされるもののひとつに、研究者たちが残した著作などの文献がありますが、ハワイ文化に関して、ネイティブの立場から書かれたものが案外少ないという状況には留意すべきかもしれません。たとえば、ハワイ語研究や辞書の編纂、民話・伝説の記録など、ハワイ文化のアーカイブ化に尽力したMary Kawena Pukui(1895-1986)が関わった著作も例外ではありません。その功績は疑うべくもないのですが、彼女が集めた資料を欧米の学者が解釈なり分析したものについては、欧米目線のバイアスがかかっていることも多く、そのあたりを認識したうえで参照すべきだとする見方もあるからです。また、19世紀に歴史書などをハワイ語で記したMa*naikalani Samuel Kamakau(1815-1876)についても、その著作の英語版が実は抄訳(すべてが訳されていない)だったりすることもあり、ときに彼のネイティブとしての意見や思いが抜け落ちてしまっている場合もあるようです。なによりハワイの歴史については、政治的主権を失ったネイティブの立場からの言説不在のまま、Captein Cookによる「ハワイ発見」以降の欧米化の過程としてのみ語られてきたという事情もあります。そんななか、ようやくネイティブによるネイティブの歴史が語られるようになり、研究対象にもなりはじめたのは20世紀末を迎えてからのこと。その意味では、Josh Tatofiのような若い世代が、過去を学ぶことに意識的であることも、そんな近年の新しい状況の変化を受けてのことだったりするのかもしれません。

1)Mcdougall BN: Finding meaning-kaona and contemporary Hawaiian literature-critical issues in indigenous studies. Tucson, University of Arizona Press, 2016, pp28-32
2)Silva NK: Aloha Betrayed-native Hawaiian resistance to American colonialism-American encounters/global interactions. Durham, Duke University Press, 2004, pp16-23
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