Aloha Aku, Aloha Mai







 Tuahineの雨が降るなか、
 天からの涙のような恵みを感じながら(わき上がるこの思い)。
 Aloha aku, aloha mai, aloha e
 
 海も山も遠くまで見わたせる高台、あるいは空がまるごと目に飛び込んでくるほど視界が開かれた空間で、不意におとずれたなにかを全身で受け止めつつことばがつむがれたような、静謐な緊張感がある『Aloha Aku, Aloha Mai』。はらはらと降っている(helele’i)とされるTuahineの雨(ka ua Tuahine)*が、天からの涙をともなう(me he wai maka o ka lani)という描写には、なによりハワイのひとびとならではの自然観があらわれているように思われ、繰り返される「aloha aku, aloha mai」も、「愛は与えれば自分にも返ってくる」とだけ訳したのではなにか足りない気がするのですが**、ここでは、不運な最期をとげた娘を思い、その母、Tuahineが嘆き悲しんで流す涙がManoaに降るとされる伝説に、人間と自然とが同じ地平で語られる、ハワイ的物語空間を確認しつつ、次を読み進めたいと思います。

 空はときにひろびろと天高く、ときに(雲が)垂れ込めもするけれど、
 山手のほうから海にいたるまで、おだやかで平和そのもの。
 Aloha aku, aloha mai, aloha e

 晴れわたる日には太陽が時を刻み、夜になると星々が瞬きもする天空。「広々とした天(空)」(ka lani a*kea)というフレーズは、水平線を越え、どこまでも高くはてしなく続く宇宙を思わせるところがあります。一方、それに続く「低い空」(ka lani ha’aha’a)は、雲が垂れ込め、ときには手が届きそうにも思われるほど空が近くに感じられる、いまにも泣き出しそうな空模様を思わせます。ですが、それに続く「山手のほうから海にいたるまで、おだやかで平和そのもの」(mai uka a* ke kai ‘olu ma*lie)という描写からすると、曇り空がマイナスの意味で捉えられているわけではないことがわかります。というわけで、ここでは、この地上の生きとし生けるものの命の源である水が、さまざまに姿を変えて循環するさまを想像してみたいと思います。太陽に照らされて水蒸気となり、上空で雲になり雨を降らせ、大地をうるおしながら海に帰っていく……そう、そんなこの世界にとっては大いなる恵みにほかならない雨のことを、ハワイのひとびとは慈悲深い母をイメージしながら、Tuwahineと呼んだりしてきたんですね。

 こうして私はいまここに、そしてあなたもそこに……。
 さぁ、私のところへ。
 (そうして)すばらしきハワイのぬくもりに抱かれるのです。

 「私はいま、まさにここにいる」(eia no wau)……シンプルながら、なかばこころの叫びのように語られているこのことばは、自らへの決意表明であるとともに、思いを寄せずにはいられない「あなた」('oe)と呼ばれる誰かに向けられてもいるようです。この誰かが、かりに日々をともにする特定の人物であるとすると、ともに同じ地に生を受けながら、まだこのHawai’iの大きなふところの深さ(ka poli aloha o Hawai’i a*kea)に気づいていない、あるいは気持ちのうえで隔たりのある誰かだったりするかもしれません。そのひとに向けて、さぁともにこの土地に根を下ろして生きようと呼びかけながら、自らも「Hawai’iの偉大なる愛」(ke aloha o Hawai’i a*kea)に包まれる祝福をかみしめている……そんな感じでしょうか。

 (この地は)いつも緑生い茂る美しさで、
 空はときに天高く、ときに(雲が)垂れ込めもする。
 (’a*inaを)愛し、(そこから)恵みを受け取る、このaloha(に満ちた関係がずっと続きますように)……。

 いつも緑が生い茂り(wehi mau)、命の輝き(ka uluwehiwehi)そのものである豊かな島々。「Aloha aku, aloha mai」(愛は与えれば自分にも返ってくる)と歌われる対象は、そんなHawai’iという大地(’a*ina)にほかならないようです。ということは、この歌のテーマは、ハワイのひとびとの「aloha ’a*ina」(大地に寄せる愛)***ということになりそうですが、ここであらためて思い起こしておきたいのが、ハワイの伝統的な自然観のあらわれともいえる、ハワイの創世神話『Kumulipo』です。そこには、ハワイの民族的なルーツが、深い海の底のような闇にまでさかのぼって語られていますが、なかでも人間と自然との関係がよくうかがえるのが、天なるWakeaと母なる大地Papaが登場し、植物のKaloの誕生と、それに続いて同じ両親から人間が生まれたと語られるくだり。人間の栄養となるKalo(タロイモ)と人間とをつなぐ、まるで家族のように親密な絆が感じられるストーリーですが、『Kumulipo』によると、人間は植物や動物ばかりか、神々や天体、そしてハワイの島々とも同じ系譜のもとにあるとされます****。そんなことを考え合わせると、Hawai’i的な「aloha ’a*ina」とは、なにか人間を超えた大きな存在にひらかれつつ、世界を構成する無数の命、神々とイコールでもある自然や宇宙を全身で感じとり、それらすべてとこころを通わせることでもありそうです。そうして途轍もなく大きな「Hawai`i a*kea」にいだかれながら(i ka poli aloha o Hawai`i a*kea)、人間と’a*inaとのよき関係を祈念することこそが、この地に生を受けたものの使命にほかならない……。『Aloha Aku, Aloha Mai』には、そんな、太古から続くハワイの知性が、しなやかに語られているようです*****。

by Michael Lanakila Casupang and Keo Woolford

*:Tuahineは、O'ahu島Honolu*lu*の山手の土地、Manoaに降る雨の名前。Ma*noaでもっとも美しいされ大切に育てられながらも、最期はかつていいなずけだった男性の生まれ変わりであるサメに襲われ命を落とした女性、Kahalaopunaの伝説のなかに、その母として登場するキャラクターの名でもあります。TuahineおよびKahalaopunaや、物語の舞台であるManoaについては、『Lei ana ’o Ma*noa i ka nani o na* pua』を参照。
http://hiroesogo.blog.fc2.com/blog-entry-349.html
**:ハワイ語のことわざ的な慣用表現に、「aloha mai no, aloha aku; o ka huhu* ka mea e ola 'ole ai」(愛は与えられたら、相手にも返すべきだ; 怒りは命を生まないものなのだから)という表現があります。これを逆にすると「aloha aku, aloha mai」であり、「愛は与えたら返ってくるもの」と訳しても間違いではないのですが、この歌で作者が対峙しているのは「aloha 'a*ina」(大地への思い)が問題になるときの自然であり、安易に訳語をあてるまえに、まずはハワイのネイティブのひとびとと自然との関係を考えてみることが大切ではないかと思われます。
***:「大地」と訳していますが、ハワイ語の「’a*ina」はなにより人間が「食べる」(’ai)ことでつながる自然をあらわしており、陸地だけではなく島を取り囲む海も含まれます。
****:先に誕生したタロイモの名がHa*loaで、続いて生まれた人間も同じHa*loaと呼ばれます。また、『Kumulipo』のこのあたりの内容を題材にした作品に『Kamali'i O Ka Po*』があります。
http://hiroesogo.blog.fc2.com/blog-entry-88.html
*****:山や川といった自然の事物さえ「あなた」('oe)と呼びかけられるハワイ語の感覚は、このあたりの自然観に由来するのかもしれません。

参考文献
1)Pukui MK: 'O*lelo No'eau-Hawaiian proverbs & poetical sayings. Honolulu, Bishop Museum Press, 1983, p15
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