He Inoa No Ka'iulani







 虹の輝きを頭上にまとい、
 高貴な祝福の雨にも飾られて。
 (そんな、なにもかもが)聖なる子どもである証。
 祖先から脈々と続く血筋にほかならない。

 Lamalama i luna ka 'o*nohi la*
 Ka*hiko ua koko 'ula
 Ka ho*'ailona kapu o ke kama la*
 He e*we mai na* ku*puna

 hui
 あぁ、なんて貴方はすばらしいのでしょう。
 凛とした気品に包まれて。
 みめうるわしく育った(そのさまは)、
 この王国の誇りを象徴する花のよう。

 Aha*ha*, ua nani ka wahine la*
 Aha*ha*, ka nohna i ka la'i
 Aha*ha*, ua hele a nohea la*
 Pua ha'aheo o ke aupuni

 明るくやや浮き足立つようなメロディが、若きプリンセスの輝く笑顔を思わせる『He Inoa No Ka'iulani』。「虹の輝き」(ka 'o*nohi)と、高貴さを印す「赤い雨」(ua koko 'ula)に飾られてと歌われるそのひとは、のちに王位継承者に指名されることになるプリンセス、Ka'iulani。彼女の叔母にあたるLili'uokalani女王によるこの歌が作られたのは1877年、Ka'iulaniがまだ12歳だったころのこと。優雅さや華やかさよりも、元気はつらつとした雰囲気を感じさせるのは、緑生い茂るWaiki*ki*の邸宅'A*inahauで*、無邪気に走り回っていたころのKa'iulaniがイメージされているからかもしれません。それでもやっぱり、彼女は「聖なる印」(ka ho*'ailona kapu)を生まれながらに授けられた子ども。王族の祖先からの系譜のもとにあることを(he e*we mai na* ku*puna)高らかに歌い上げずにはいられない、そんな気品あるオーラに包まれた、選ばれしひとだったことが想像されます。

 選ばれし子どもに授けられた高貴さの印は、
 Manokalanipo*の島にルーツがあるからこそ。
 海辺のNaueにはhalaのかぐわしさ、
 Makanaの峰にlaua'eの芳香がただよう島だもの。

 Ki'ina ka wehi o ke kama la*
 I ka mokupuni o Mano
 Ka hala o Naue i ke kai la*
 Laua'e 'a'ala o Makana

 「高貴さの印が与えられている」(ki'ina ka wehi)のは、「Manokalanipo*の島にルーツがあるから」(i ka mokupuni o Mano)……Ka'iulaniが放つオーラが詩的に表現されていた先のバースとは異なり、ここでは、彼女が名だたる王族の血筋を受け継いでいることが具体的に語られています。NaueはKaua'i島北部、Ha*'enaの西にあり、海沿いに茂るhala(pandanus)の林で知られる場所。また、Kaua'i島の象徴とされるManokalanipo*は、Naueも含まれるHalelea地方出身のチーフ。そんな歴史ある地にゆかりのあるKa'iulaniならばこそ、「王国の誇りを象徴する花」(pua ha'aheo o ke aupuni)と呼ぶにふさわしい……こんなふうに、彼女のゆるぎない地位がたたみかけるように歌われるこのバースには、その魅力を思わせる「Makanaに育つlaua'eの香り」(laua'e 'a'ala o Makana)というフレーズにさえ、その影響力を高らかに歌い上げているような気迫が感じられます。

 どんな思いもグッとこらえているのね。
 そう、Lilinoeが戻るまでは。
 こごえる寒さのなかで耐える女性(といえば)、
 Maunakeaの頂に暮らす(かの女神のよう)……。

 Ka*ohi 'ia iho ka mana'o la*
 A ho'i mai 'o Lilinoe
 Ka wahine noho i ke anu la*
 I ka piko o Maunakea

 「思いを自制し」(ka*ohi 'ia iho ka mana'o)、「寒さのただ中にいる」(noho i ke anu)……ここでは、これまでの晴れやかな雰囲気や華やかさがいきなり消えて、心身ともに凍えるような状況を、ひたすら耐えるひとが描かれているようです。「Maunakeaの山頂にいる女性」(ka wahine…… i ka piko o Maunakea)といえば、雪の女神Poliahu。ほかを寄せ付けない高貴さが表現されているにせよ、まだ幼いKa'iulaniの描写としては、あまりに厳しすぎやしないか、という印象があります。それもそのはず、この歌が作られたとされる1887年は、Ka'iulaniの母、Miriam Likelike(1851-1887)が亡くなった年だったんですね。Likelike36歳、Ka'iulani12歳のときでした。
 『He Inoa No Ka'iulani』が作られた1887年は、Kala*kauaが、後に「銃剣憲法」(Bayonet Constitution)と呼ばれる憲法にやむなくサインし自らの実権を失った年。母を亡くした悲しみはもとより、王族としての人生にも暗雲がたちこめていたKa'iulaniの境遇には、まさにひとり雪山にたたずむ雪の女神を思わせるところがあったのかもしれません**。「Lilinoeが戻るまでは(思いを抑えて)」(a ho'i mai 'o Lilinoe)と歌われるLilinoeとして語られているものが、Ka'iulanを支えるべく期待されていたところはわかりませんが***、彼女のその後の人生を思うと、それは結局、彼女のもとへとやってくることはなかったのだろうか……と思わざるを得ない、『He Inoa No Ka'iulani』なのでした。

by Lili'uokalani(1877)

*:'A*inahauの土地(10エーカー、40,000平方メートル)は、Ka'iulaniの後見人(godmother)である王族、Ruth Ke'eliko*laniから贈られたもの。'A*inahauは、Miriam Likelikeとその夫、Archibald Scott Cleghorn(1835-1890)が、1875年に彼らの娘であるVictoria Ka'iulaniの誕生を機会に建て、ともに暮らした家。造園家でもあったCleghorは、その庭に世界中からあらゆる植物を集めて植えたとされます。クジャクが放し飼いにされていたことも有名。ちなみに、'A*inahauの文字通りの意味は、「ハイビスカスなどの低木」(hau)のある「土地」('a*ina)。
**: Ka'iulaniの母Likelikeは、Kala*kaua王、Lili'uokalani女王の妹にあたるひとでした。そして、Kala*kaua王、Lili'uokalani女王の双方に後継がない状況を受けて、1891年、Ka'iulani15歳のときに、彼女は正式に王位継承者として選ばれることになります。そんななか、父、Cleghorの考えもあり、彼の故国である英国にわたって教育を受けることになります。こうして、未来のハワイ女王としての人生を歩み始めたかに見えたKa'iulaniだったのですが……彼女が不在にしている間にも、ハワイでは、米国の企業家や宣教師たちを後ろ盾とする議会の台頭が進み、ハワイ王朝そのものがその存在をおびやかされるようになっていきます。資本主義が台頭するなか、王族を中心とする政治体制は、どんどん形骸化していったわけですね。そんななか、1891年にKala*kaua王が亡くなり、Lili'uokalaniが王位につくも、1893年にはクーデターにより王朝が転覆。遠い異国の地で故国の危機を知ったKa'iulaniは、すぐさま英国から合衆国にわたって各地をまわり、ワシントンDCでは当時の大統領にも面会するなど、ハワイの国家としての主権を守るべく訴え続けたといいます。それでも、結局、合衆国併合にいたるその後の流れを変えることはできなかったわけですね。その一方で、彼女自身はしだいに健康をむしばまれつつあり、失意のうちにその短い生涯を終えます。1899年、Ka'iulani23歳でした。
***:Lilinoeは、Maunakea山にかかる霧やミストを指すことばで、Poliahuとは姉妹の関係にあると語られます。

参考文献
1)Gren Grant, Bennet Hymer, Bishop Museum Archives: Hawai’I looking back An illustrated history of the islands. Honolulu, Mutual Publishing, 2000, pp87-160
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