Ho‘opuka E Ka La* Ma Ka Hikina






 東の空に現れる太陽を思わせる、そんなフラではじめよう。
 Kumukahiの岬からはじまる旅でもあるようなステージを。
 それは、Hi’iakaとともに踊るように飛来する'iwaの鳥たちのようで、
 生い茂る森に、Kapoとともにあらわれる(神聖な)気配でもあるのだが、
 'Iwaの鳥たち(であるダンサー)は、私のそばに近づいてくる。
 得も言われぬ厳かな雰囲気をともなって。
 上に立つものたちのもとに聖霊が宿り、
 そうして、われわれがみな生を謳歌できますように……。
 このmeleを(命の守り神である)Hi’iakaに捧げます。

 Ho’opuka e ka la* ma ka hikina
 Me ka huaka’i hele no Kumukahi.
 Ha’a mai na* ‘iwa me Hi’iaka
 Me Kapo laka i ka uluwehiwehi.
 Ne’e mai na* ‘iwa ma ku’u alo
 Me ke alo kapu o ke a*iwaiwa.
 Ho’i e ke kapu me na* ali’i
 E ola ma*kou apau loa.
 He inoa no Hi’iaka.

 Hula kahiko(古典フラ)のオープニングにパフォーマンスされる「hula ka‘i」として、フラダンサーにはおなじみだと思われる『Ho‘opuka E Ka La* Ma Ka Hikina』。東の空から、大地に光を放ち始める太陽の姿を「出現させる」(ho’opuka)ような、最高に生命力あふれる神々しいパフォーマンスをせよ!と、ダンサーが自らを奮い立たせている、そんな勢いや勇ましさに満ちた作品です。
 Hawai'iの島々のなかでも最も東に位置するHawai’i島の、そのまた最東端にあり、天空を行く太陽の道行きのはじまりにもなぞらえられるKumukahi。太古の昔にはheiau(神事が行われる場所)があったとされ、kahuna(聖職者)たちが、毎年,祈りのために訪れたとも伝えられる、ネイティブのひとびとにとっては神聖さそのものといえる岬です。このKumukahiからはじまる太陽の旅(ka huaka’i)が、四方八方に向かう(hele)、つまり、全世界を照らし出すとされ、hulaのはじまりの物語に欠かせないHi’iaka*とともに、‘iwaの鳥たちもまた、「(低い姿勢で)踊りながら向かってくる」(ha’a mai)……そんな、単なる日の出の光景とは思えない太陽の描写は、hulaのオープニングを飾るダンサーたちのパフォーマンスをなぞらえるものでもあるようなのですが、そのあたりを、歌詞をたどりながら細かく見ていきたいと思います。
 まず、そもそもhulaのパフォーマンスのオープニングを飾るhula ka‘iとはなんなのか……Ki*hei de Silvaによると、聖なるものへの意識をこの世において意識化し、その聖性をこの世界のしかるべきところに宿らせ、あとに続くhulaのパフォーマンスを(その承認のもとで)しかるべき内容にする、という意味合いがあるようです。つまり、表現すべきことがらがこの世界を超えたところにあるがゆえに、それを正しく受け止め理解したダンサーが、聖なるものの許しのもとにパフォーマンスするという、その手続きのために行われるのがhula ka‘iなんですね。
 そのあたりは、歌詞に含まれることば遣いからもうかがうことができます。たとえば「na* ‘iwa」(鳥たち)の踊りを表現している「ha’a」。これは、一般的に踊りをあらわす「hula」よりも、Peleや自然など神的存在に用いられることが多いもので、鳥たちがなにより天空の聖なる世界と地上をつなぐものとして登場していることがわかります**。また、鳥たちはHi’iakaをともなっているとも語られ、まさに聖なるものからの啓示にひらかれようとする、なにか特別な出来事のはじまりが記されているようでもあります。さらに、鳥たちがつながっているとされるhulaの守り神、Kapo-Lakaは、この世界の青々と茂る植物に(i ka uluwehiwehi)あらわれるとされ、この神がこの世界の豊饒やひとびとの健康を司る存在でもあることが示されていると考えられます。そんな仕方で語られる太陽の輝きは、‘iwa鳥にともなわれてこの世界にあらわれを持ちながらも、「最高の畏怖を感じさせる聖なるもの」(ke alo kapu o ke a*iwaiwa)と捉えられていますが、その聖性(ke kapu)が「ali‘iのところにやって来る(宿る)」(ho’i e ke kapu me na* ali’i)とも読めるあたりは、古代の王たちが、神々の聖性を受け継ぐことに権力の正当性を求めたという、古代のハワイ的価値観を思わせるところもあります。そして、そういったパフォーマンスが体現すべき聖なるものを理解してはじめて、それを世俗のものとしてhulaで表現することが許され、命をつかさどるHi’iakaにあやかり、「われわれが末永く生を謳歌するように」(e ola ma*kou apau loa)と願うことも可能になる……ということだと思われます。
 最後の締めくくりの部分では、Peleに祈りを届けようとするmeleの多くがそうであるように、「he inoa no Hi’iaka」と締めくくられ、PeleではなくHi’iakaにスポットがあたっている印象があります。このことは案外重要で、Peleの燃えさかる炎が生み出す大地にやがて命が育くまれるという事実、いわばPeleの破壊のエネルギーに含まれる生命力の部分が、Hi’iakaとして語られてきたのではないか……そんな思いから、「このmeleを(命の守り神である)Hi’iakaに捧げます」と訳してみました。
細部に含まれるさまざまな意味合いやイメージが、ときに絡み合い、ときに別々の意味の層を作りながら、全体としてひとつの宇宙が語られているような、そんな壮大なところがあるハワイ語のmeleの世界。ことばにならないものを相手に、それでもことばにしようとするところで力を発揮する独特の修辞法は、古代のハワイ的な世界観のあらわれでもあるのかもしれません***。

*:Hulaのはじまりを語るHi'iakaにまつわる神話についてはこちら。
ハワイ語のはなし163 フラを語る「ことば」
http://archives.mag2.com/0001252276/20171106210000000.html
**:神聖なところに位置づけられる「ha’a」に対して、「hula」は世俗の領域にあるものとする用語の使い分けがあります。
***:たとえばKapo lakaについて、次のようないくつかの意味の層があったりします。
1)Kapo (-‘ula-ki*na‘u)はPeleの妹であり、魔術を司る火の神。LakaではなくKapoをhulaの第一の神だとする考え方もある(Emerson, Unwritten Literature, p25)。
2)KapoとLakaを同じhulaの神の性質の2面性を反映する名前であるとする考え方。表記はKapo-Lakaとされることが多い(Beckwith, Hawaiian Mythology, p185)。
3)lakaを動詞の「現れる」「取り囲む」「外に広がる」とする解釈(Mader’s MS 81, 7.4)。
4)状態動詞としての「kapolakaには「mysterious」「unfathomable」(底知れぬ)といった意味合いがある。

参考文献
1)Ki*hei de Silva, 2011
http://www.halaumohalailima.com/HMI/Hoopuka_e_ka_La.html
2)Emerson NB: Unwritten literature of Hawaii-the sacred songs of the hula. Honolulu, Mutual Pub Co, 2007, p25
3)Beckwith M: Hawaiian Mythology. Honolulu, University of Hawaii Press, 1970, pp185
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