Nani Ko'olau






 Ko'olauは美しく、ひんやりと気持ちのいい空気に満ちている。
 Makasilaの風の、胸がキュンとなるような刺激もいいよね。
 (だから)あの場所でぼくら一緒に……って思うわけさ。
 喜びに満ちた時間をね。
 きっと最高の気分さ。

 ウキウキとはずむようなメロディが、あることへの期待に胸ふくらませる誰かの、はやる気持ちを思わせる『Nani Ko'lau』。まず描写されているのはKo'olauがそびえる山の風景と、そこを満たすひんやりとした空気(he po* anu)。ですが、そこが二人でまったり過ごす場所(i laila ka*ua i walea ai)だと語られるあたり、どうも風景に重ね合わされている、なにか特別な思いがあるような予感……。しかも、「'ula*la*'e*ho*」なんて、最高に喜びを感じさせる感嘆詞も繰り返されていたりして、かなり気持ちが盛り上がっている雰囲気もありますが、もう少し先を読み進めてみると……。

 さぁ、Nu'uanuへ行こうよ。
 そして、Silosiaの水を味わうんだ。
 そこでまったりとリラックスして……。
 喜びに満ちた時間をね。
 きっと最高の気分さ。

 先に訳した繰り返しの部分では、Ko'olau山脈の美しさをちょっと離れて眺めている感じがありましたが、ここではもう少し踏み込んでNu'uanuまで行き、(Silosiaの水にたとえられる)そこにしかないものを味わおうと歌われているようです*。そして、その場所で(i laila)、誰かを誘って「hi'olani」(横になる、眠る、リラックスする)ことを想像しながら、気分はすっかり「'ula*la*'e*ho*」……いったいなにごとって感じですが(笑)、Silosiaの水を飲みに行くと歌われていることや、そこでの喜びには水がともなっている(me ka wai)と繰り返されるあたりから考えると、命の源である水から連想されること、たとえば、生きることの喜びをまるごと感じるような、人間も含めた生き物にとって大切な「あることがら」が表現されているのではないかと考えられます。
 そして、次のバースでは、実際にその場所に行ってみたときのエピソードが語られているようなのですが……。

 そこへこないだの夜、行ってみたんだけど。
 君の家のドアはしっかり鍵がしまってた。
 なんとかしのび込もうとしたけど、びくともしなかったさ。
 もう、背中で泣くしかないって気分だったよ。
 そう、喜びの水ではなく涙なんだよね。

 昨晩、そこへ行ってみた(i laila aku wau i ka po* nei)……ここまでの少し気取ったことば遣いが一転していますが、君のドア(kou puka)にしっかり鍵がかかってた(i ka laka 'ia)とは、なんとも生々しい表現ですね。それでも、せっかく意を決してやって来たのだからと一歩踏み出してはみたものの(hehi)、しっかり閉まったドアは開く気配もなかったようです。そして、このときの気分も、これまでと同じ水で表現されているのですが(me ka wai)、さすがに喜びの水ではなく「ka ua la’a」(ひどい雨)**、しかもそのあと「kua」(背後)が続くので、「背中で泣いて」と訳してみました。
 Ko'olau山脈といえば、個人的には東のKaneohe側から見上げたときの、山頂あたりに雲をいただく光景が思い起こされます。この歌の作者が、Ko’olauのどちらの山肌を見上げていたのかはわかりませんが、「wai」が繰り返し登場するあたり、水の循環に守られたKo'olauの豊かさが、強く意識されていたのではないかと思われます。
もやがかかる山頂や、雨にぬれてかがやく緑生い茂る風景に重ね合わされる恋心が、時空を超えてこちらに届く気がする『Nani Ko'lau』。個を普遍につなげる不思議なパワーが、ハワイ語の表現にはあるのかもしれません。

*:Silosiaは「Kilo Wahine」がなまった言い方で、Nu’uanuにある池の名前。
**:「聖なる」という訳語がまず思い起こされる「la’a」ですが、ここでは「ひどい状況にある」(in great trouble)という意味で解釈しています。
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