Heha Waipi’o





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 Waipi’oを見晴らせるわが家。
 そこは美しい風景に囲まれた名高いところ。
 (その家のたたずまいは)高貴なひとの城(というべき風格)。
 (だけど)わが縁者はまるでヘロデ王。
 あの暴君のようなふるまい(はあんまりだと)……。

 Kaulana ku’u home puni Waipi’o
 Me na* pe’a nani o ka ‘aina
 Ka*kela he hale ali’i
 Herode ko’u hoalike
 Mo’i puni ha’akei

 晴れやかに響くイントロのメロディラインが、これから展開する物語への期待をかきたてる『Heha Waipi’o』。Waipi’oといえば、Hawai'i島北部、Hamakua CoastをたどるHwy240の終着点の先にひろがる渓谷*。最初のバースでは、まずこの歌でその思いが語られている誰かの「わが家(ku’u home)が登場し、その家が「(その)土地の美しい山肌に(向き合う)」(me na pe’a nani o ka ‘aina)**とされ、円形劇場を思わせる渓谷の圧倒的な存在感が表現されています。そして、さらにその家が「ka*kele」(castle由来のハワイ語、城)と言い替えられたうえに、「高貴さのある(ひとの)家」(he hale ali’i)とうやうやしく語られます。もしかすると、このやや大げさな印象を与える箇所では、歌の主人公を讃えるとともに、かつてこの土地に名だたるali’i(チーフ)が治める豊かな集落があったことも含めて語られているのかもしれません***。それにしても、その家の主にとっての近しい誰か(hoalike)のことを、ねたみ深い「ヘロデ王」(Herode)****のようだと表現するあたり、いったいどんな状況を語ろうとするものなのかが気になるところ。なんにせよ、まるで演劇のシナリオを読むようなドラマチックな語り口は、作者の卓越した表現力、あるいは豊かな教養のなせるわざなのだと思われます。

 太陽の輝きと呼ばれているぼく。
 大地をくまなく照らし出している(からさ)。
 うんと遠く、高いところまで……。
 (でも)ぼくは手も足も出せやしない。
 (結局)この世界で上に立つひとたち(が力を発揮するわけだから……)。

 Kukuna o ka la ko’u kapa ‘ia
 E ‘olino nei a puni ka honua
 Aue a’i luna lilo
 Lihi launa ‘ole mai
 Na ali’i nui o ke ao

 「ぼくの呼び名は『太陽の輝き』」(kukuna o ka la ko’u kapa ‘ia)なんて、いったいどんなひと?!と思ってしまう表現ですが、この人物はこの歌の作者、Sam Li'a Kalainaina Jr(1881-1975)の友人で、名前はJoe Perez。SamとJoeは二人がLahainaluna School(Maui島)で学んでいた頃の学友で、結婚が決まったJoeに頼まれて作られたのが、この『Heha Waipi’o』でした。
 Joe Perezは、その名前からわかるようにスペインにルーツがあるひと。そしてスペインといえば、かつて「太陽が沈まぬ国」と表現された大国でもありました。この詩的表現は、大航海時代、世界をまたにかけたスペインが、その領土のどこかにいつも太陽があたっているほど覇権を誇ったことを表現するフレーズです。このバースにあるどこもかしこも照らし出す太陽のイメージは、おそらくスペインをキーワードに連想されたものではないかと考えられますし、実際に彼が地域のひとびとから信頼され、頼りにされてもいたことが、くまなく届く太陽の光にたとえられているものと思われます。ですが、そんな彼に手ごわい相手が現れた……そう、最初のバースに登場した、ヘロデ王にたとえられる誰かですね。なんにせよ、「影響力のある彼が」(na ali’i nui)すべてを牛耳っていて、「ぼくにはかかわる余地がなかったりする」(lihi launa ‘ole mai)……そんな表現から、この誰かとJoeとの関係が、相当こじれてしまっていたであろうことがうかがえます。

 たくさんのぼくの知人たちよ、
 愛するこの土地のネイティブたち、
 そして、Hi’ilaweの滝とともに、
 上の方に、あの峰に降りそそぐ(祝福を授かりますように)……。

 E o’u mau kini na* makamaka
 Me na* kupa o ku’u ‘a*ina
 Me ka wailele a’o Hi’ilawe
 Ko’iawe maila i luna
 Ko’iawe mau i ka pali

 「ぼくのたくさんの仲間たちよ」(e o’u mau kini na makamaka)……このバースには、日頃かかわりのある身近なひとびとに向けて、自分の思いを力の限り投げかけているような雰囲気があります。そして、重要だと思われるのは、この土地のネイティブのひとびと(na kupa o ku’u ‘a*ina)と、Waipi’oといえばHi’ilaweといわれるほど土地を代表する存在である滝が同列に扱われていること。おそらく、先祖代々、大地に根差して生きてきたひとびとにとって、その土地のシンボルである地名は仲間や親族同然。「その高みから(なにかが)降り注ぐ」(ko’iawe maila i luna)という、まるで滝のところで砕け散る激しい水しぶきとともに、なにか聖なるものが降りてくるような雰囲気に、土地のひとびとがHi’ilaweの滝に寄せる感情があらわれているのではないかと思われます。こんなふうに、友人たちとの世俗の付き合いと、霧に包まれまどろむようなWaipi’o(heha Waipi’o)という聖なる存在が、それぞれ縦横の糸のように織り込まれているのが、この『Heha Waipi’o』という作品のようです。

 そんなふうでは決してないんだけど。
 知人のなかにはよく思っていない嘘つきもいるからね。
 ぼくだってふるさとのみんなと、違うところはこれっぽっちもないのに。

‘A’ole pe*la* ka ‘oia’i'o
 Haku’epa loko’ino o ka makamaka
 Ua like no a like
 Me na* kini lehulehu
 O ku’u one hanau

 「真実はそうではない」(‘a’ole pe*la* ka ‘oia’i'o)……そんなふうに(pe*la*)言う心根のよくないひと(haku’epa loko’ino)もいるけれど,ぼくだってみんなと同じなんだと懸命に訴えている、そんな切なさが伝わってくるバースです。ところで、「あいつちょっと違ってて変だよね」とJoeが言われるようになったのはなぜだったかというと……ことのはじまりは、この歌が作られるきかけになったJoeの結婚にありました。父親とともにtaro作りを生業としていたJoeですが、花嫁を迎えるにあたり、古い家族の家を塗り替えたり新しい家具を調達したりと、彼なりに新生活に向けて準備を進めていたのですが、そんな彼に言いがかりをつける花嫁方の親戚がいたんですね。それも、「そんなうわついた色はないだろう」みたいなどうでもいい理由だったらしく、もしかすると問題なのは色ではなく、そもそもJoeのことが気に入らなかったのかもしれません。彼女の兄弟とくれば無視するわけにもいかず、なんとか関係修復をはかろうと考えたJoe。そして、困り果てた友を助けるべく、結婚式のウェルカムソングを作ったSam Li'a。生涯。ミュージシャンとして活躍したSamですが、なんと曲を作るのはこのときが初めてだったようです*****。それでも、クリスマスの日に行われたという結婚パーティには3人のバンドメンバーを募って臨み、Joeの家の外でバンド演奏を行ったところ、居合わせたひとびとは大喜びの大喝采。めでたくJoeと義理の兄弟との仲をとりもつことができたようです。

 ぼくら二人は、この土地のたくさんの仲間とともに、
 そして、この地に生を受けたひとたちとここで生きていく。
 降りそそぐ海のしぶきに祝福され、
 その恵みをこの手にしながら、
 霧のなかでまどろむようなWaipi‘oの地で……。

 E ola ma*ua me a'u kini
 Me a'u lei o nei 'a*ina
 Pulupe* i ka hunakai
 Ka i'a mili i ka lima
 Heha Waipi'o i ka noe

 「ぼくら二人は生きていく」(e ola ma*ua)……ここでは、めでたく結婚する二人(ma*ua)が、「この地に生を受けたひとたちとともに」(me a'u lei o nei 'a*ina)、このWaipi'oの地で幸せになりますという、誓いのことばを述べているようにも読めます。このことばを聞いて、Joeにつらく当たっていた花嫁の兄弟も、二人のことを受け入れる気持ちになったのかもしれません。さらに、このバースでは、「海のしぶきを(祝福として)受け」(pulupe* i ka hunakai)、「この手に海の幸を抱いて」(ka i'a mili i ka lima)といった表現で、Waipi'oの豊かさが表現されてもいます。Waipi'oのすばらしさと人間関係のこじれとでは、あまりに次元が違う話のように思われますが、同じ土地に生まれ、そこに根を張り生きるひとびとにとっては、大地というより所がなによりの絆になる……Sam Li'aには、そんな確信があったのかもしれません。

 この歌のいわんとするところをもう一度心に響かせて。
 (伝えたかったのは)スペインにルーツのある、あのひとのこと。
 (いまでは)この土地のネイティブのひとりさ。
 (だから)こっちへおいでよ。
 (そして)Hale’iwaといえば(彼女の恋人の)家……。

 Ha‘ina ’ia mai ana ka puana
 No ka lei hapa pua Sepania
 He kupa no ka ‘a*ina
 E kipa mai ma loko
 Hale’iwa beautiful home

 「(この歌は)スペインにもルーツがある大切な友人を讃えたもの)」(no ka lei hapa pua Sepania)と、ここではじめて「スペイン」(Sepania)ということばが登場。Sam Li’aが、友人のなかにある異文化を意識していたことや、彼のすばらしさをそこに見出していたことがうかがえるくだりです。Waipi’oといえばParker RanchがあるWaimeaにも近く、牧場で働いていたひとも結構いたはず。そう考えると、スペインにルーツがあるひとの存在もそう珍しくなかったのではないかと思われますし、彼らが持ち込んだカウボーイ文化とともに、ときに折り合いを付けながら営まれていたような、そんなコミュニティのありかたも想像されます。もしかすると、Joeが塗り替えた家の色がひと目を引いたのも、ハワイにはない色彩感覚がそこにあらわれていたからかもしれませんね。それでも、彼はすっかり「この土地のネイティブ」(he kupa no ka ‘a*ina)なんだし、さぁ、(きみたちも)この輪の中に加わりなよ(e kipa mai ma loko)……このあたり、結婚の宴に参加しているひとたちへの呼びかけだととらえると、最高に盛り上がるところかもしれません。そんな華やいだ場の空気感とともに、親密な人間関係が日常そのものであるコミュニティの、温かな雰囲気が伝わってくる気がする『Heha Waipi’o』。この歌が作られた1920年代のWaipi’oが、生き生きと感じられる一曲です******。

by Sam Li’a Kalainaina

*: Waipi’o渓谷の息をのむような絶景を見渡すことができるのが、Hwy240の終点にあるWaipi'o Lookout。そこからWaipi'oの谷に行く際は、車で15分、徒歩45分(下りは30分)。道は急勾配で整備されていないため、車なら四輪駆動、歩く場合も足下は重装備で臨まなければならず、ぬかるんでいる場合はとくに注意を要します(Discover Hawaii: The Big Island. Lonely Planet Publications Ltd, 2014年版より)。
**:「Pe’a」には「境界」「縁(へり)」「際(きわ)」といった意味があることから、谷底から立ち上がるようにそびえる渓谷の山肌が、壁のようにこちらに向かってくる圧倒的な存在感をイメージしています。
***:Waipi'oは、Hawai’i島のなかでも有数のtaro栽培に適した湿地があり、古代から大きな農業エリアのひとつで人口も多かったところ。渓谷の底には、3マイル長、1マイルの幅にわたり耕作されていたとされます(『In native Planters of old hawaii』, Handy)。ハワイ島の重要なチーフたち(ali’i)がそこに住むことを望んだのはそのためで(たとえば、15世紀のチーフであるLi*loa)、Waipi'oの様子が記された最初期の記録には、漁業や農業が盛んだったころのコミュニティの風景が記されていて、往時の様子をうかがうことができます。「高いところから眺めると、魅力的な渓谷は、地図のようにわれわれの眼下に広がっていて、多くの住人、家、農地、養魚場(fish pond)、うねる流れにカヌーの往来が見え、まるで美しいミニチュアのように思えた。……(次の日に海側の)渓谷の底からその一帯をながめると、まるでひと連なりの庭のような印象で、タロ、バナナ、サトウキビ、その他の島の作物が栽培され、どれもすばらしく育っていた。大きな養魚場もいくつか見えたが、どれもよい魚がストックされているようだった。小規模な村がいくつもあって、それぞれ20~50の家屋の集落が山々のふもとに位置し、そびえる渓谷の峰で視界が遮られるところまでずっと続いていた」(1823年、William Ellisによる)。
****:ヘロデ(英語表記はHerod、紀元前73年頃~紀元前4年)は、共和政ローマ末期からローマ帝国初期にユダヤ地区を統治したユダヤ人の王(在位:紀元前37年~紀元前4年)エルサレム神殿の大改築を含む多くの建築物を残したことや、猜疑心が強く身内を含む多くの人間を殺害したとされるあたりが、この歌の家をめぐるエピソードと結びつけられたのではないかと思われます。
*****:Sam Li’aが音楽に出合ったのは彼が8歳のとき、彼の住むまちにやってきた旅する楽団の演奏を夢中になって聴いたのが、彼の音楽人生の出発点でした。1880年代当時のハワイアンバンドは、ウクレレ、ギター、そしておもにリードを担当するフィドルといった編成が多かったようですが、Samはすぐさまフィドルに魅了され、演奏を聴いた次の日には森にいって竹を切り、マンゴーワックスを塗った弦を張って、自作の楽器で演奏をはじめたとされます。12歳のときに親戚の家にあったホンモノのフィドルを譲り受けますが、「そんなに弾けるならあげるよ」といわれるほどの腕前になっていたようです。
 Joe Perezのために『Heha Waipi’o』を作ったのは1904年、Sam Li’a22歳のときで、4年間続けたHiloでの仕事を辞め、高齢の父親を世話するためにWaipi’oへ戻ってきたころでした。友人のために作ったこの曲は、Joeの姉妹が有名なバンドマスターにこの曲を紹介する機会があるなどの幸運が重なり、彼の楽曲のなかで唯一レコーディングされたものでもあります。
農業を営み、Parker牧場やサトウキビ農場でも働いたりしながら音楽を続け、多くの楽曲を作ったSam Li’a。その名が広く知られているという意味ではミュージシャンとして決して有名なひとではありませんが、ハワイ語で考え詩が書ける最後の世代として、後の世代に影響を与えたひとだったりします(このあたりのエピソードやSam Li’a の人柄については、Eddie Kamaeの手記に詳しい)。また、Dennis Kamakahiが作った『Kanaka Waiolina』は、Sam Li’a自身を讃える歌でもあります。
『Kanaka Waiolina』
http://hiroesogo.blog.fc2.com/blog-entry-516.html
******:現在、Waipi’oに定住しているひとは少なく、農地になっているエリアも限られていて、おもに渓谷の外から通勤してくるtaro農家による耕作が行われています。グアバなど外来の作物が茂り、taroの水田が一面にひろがるかつての渓谷の風景は失われていますが、いまでも棚田が見わたせるポイントはわずかながら残っているようです。
かつて盛んだったタロの集約農業が姿を消した背景には、19世紀末にはじまった中国からの移民による米作の開始、輸送手段の問題、洪水などさまざまな要因がありますが、なんといっても1946年の津波の被害を受けたことが大きかったようです。1823年のEllisの記録には、彼が海沿いの渓谷の入り口に立ったとき、視界を遮る大きな砂山があったという記述があります。これは後に書かれたほかの19世紀の記録にはみられないもので、20世紀のあいだに海の浸食によって削られたうえに、1946年の津波で根こそぎ砂が流され、風景画一変したことがうかがえます

参考文献
1)Houston JD, Kamae E: Hawaiian Son: the life and music of Eddie Kamae. Honolulu, 'Ai Pohaku Press, 2004, pp100-108
2)Clark JRK: Beaches of the Big Island (A Kolowalu Book). Honolulu, University of Hawaii Press, 1985 pp153-155
3)Fornander A: Ancient history of the Hawaiian people to the times of Kamehameha I. Honolulu, Mutual Pub Co, 1996, 100
4)McMahon R: Adventuring in Hawai'i. Honolulu, University of Hawaii Press, 2003, p89
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